龍馬伝のテーマ曲が頭の中に流れ始める。
ここ神戸には勝海舟が所長となり、咸臨丸を操舵する訓練所があった。
練習生は300人程いたという。
しかし、元治元年(1864年)、京都で「禁門の変」が起こり、反幕府の浪士が練習生の中にいた為に、幕府により閉鎖を余儀なくされている......。
また、勝海舟も解職させられている!
三宮一貫楼本店で🐴~い中華を頂いた後、来て見たかった『神戸海軍操練所』を訪問(^^)。
江戸末期、勝海舟の建言により神戸に設立した海軍士官養成機関で、神戸海軍塾(勝塾)で、坂本竜馬も操船術を学んでいた場所~☺️。
ここに、勝海舟と坂本龍馬がいたのかと思うと、感慨深~い😌😌😌。
.今回は、三宮一貫楼の🐴い中華達に、舌味操練されつつ、味維新を感じました~(笑)。
さぞかしここの生徒たちは志高く日々の訓練や座学に取り組んでたんやろなこの石碑をぼんやりと眺めながら時代はもちろん違えど小職も船員学校に行ってた頃を思い出してその志の違いに情けなくなりましたーおそらく教程の半分くらいは当時も現在も同じような内容の勉強をしてたと思いますが志とヤル気と根性がぜんぜん違う小職は毎日「早く終われよ~💦」と授業そっちのけでそんなことばっかり考えてました大先輩方はすごいな!学ぶことが楽しいって境地にはついぞなれませんでした。
坂本龍馬の足跡を辿る旅は非常におもしろい。
ざっと考えうるだけで高知京都長崎神戸東京あの時代によくぞ、よくぞ!日本は広くて世界も広い。
操練所は高速道路建設時に埋立られたようですが、幕末期に日本が植民地にならぬよう、国防に努められた海舟の功績を再認識するために、今後も遺しておいてほしいものです。
もっとも、江戸城の無血開城が功績としては大きいですが。
ひっそりと佇む歴史の1ページ。
坂本龍馬と勝海舟が日本で初めて海軍の学校を開いた場所の跡。
当日神戸は何もない港町だったという。
勝海舟が神戸を評価し現在の大都市に成長させた。
地味で目立たないところにあります。
法務局のすぐ横にあります。
古い建物があるので散策してはいかがでしょうか?日本一短い国道174号も近くなので行ってみては?
名前 |
神戸海軍操練所跡碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
https://www.city.kobe.lg.jp/a36708/kanko/kobemachiaruki/chokokunomachi/port/index.html |
評価 |
3.9 |
大きなイカリが置いてあります。
幕末この辺りを教科書に載るような人物が生活していたんだなあと感慨深いです。