西国七福神巡りでお参りしてきました。
お釈迦様の誕生日、花まつりをされてて訪れました。
HPにもご説明があり行くキッカケとなりました。
思わぬお土産、サクマドロップを頂いて感謝です。
豊中、岡町近辺に住んで8年ほど。
萩の季節は期間が把握出来ていなくて、いつの間にか終わっていた事ばかりで初めての訪問になりました。
お花が色々な所に咲き、飾られ気持ちのよい場所でした。
事前申し込みの写経にも興味を持ちました。
境内は静かなピアノ曲が流れており落ち着く空間です。
萩に囲まれてしばしうっとり。
2022/09/19令和4年 萩まつり道了祭献笛箏曲奉納 倉橋容堂と無住庵豊中にこのような歴史の深いお寺があったことを初めて知りました。
スリランカ招来仏舎利に、本尊薬師如来、釈迦如来、十一面観音菩薩、地蔵尊、秘仏の毘沙門天、道了尊が鎮座しています。
東光院ゆえに東照宮信仰の流れを汲みます。
道了権現は秀吉公勧請のようです。
孫文も訪れたなど、国際影響のある名刹で間違いなし。
新西国33所巡りでお参りしました。
無料の駐車場が4台分ほどありますが、狭いスペースなので、運転初心者には難しいかも。
こじんまりとした境内にはちょうど萩の花も咲いており風情がありましたよ。
萩の花が咲いている頃行った。
萩の小さな花がたくさん咲いている庭があった。
萩の花が咲くころ以外は入れない。
「萩露園」と言うのだろうか?北大路廬山人が命名した庭。
広くないけど、綺麗に手入れされていた。
阪急沿線西国七福神集印めぐりの寺社の一つ。
一番霊場。
毘沙門天王のお寺。
元々は大阪の北区あたりにあったが、阪急の創始者小林一三氏の依頼を受けて、別院のあったこの地に移って来た。
行った時は、山門に徳川家の家紋三つ葉葵の旗がかかっていた。
入ってすぐのところにある「あごなし地蔵」の社にかつて今の造幣局あたりにあった川崎東照宮が廃社なるのを引き受け祀られているからだろう。
豊富秀吉が勧請した道了大権現を祀る道了堂にこの地に移ってきたようだ。
曹洞宗のお寺だが、浄土宗のお寺も引き受けたそうだ。
スリランカから贈られたホワイトブッダもある。
前知識を持って回ると面白いおてらだ。
曽根駅から歩いて数分。
お寺までは、参道の案内が大きく出ているので、迷うことなく行けます。
お寺の前の公園からお寺の方へ橋があるのですが、これがまたいい感じ。
お寺の参拝には、参拝料200円を支払います。
タイミングが良かったのか、人がいなかったので手入れの行き届いた境内をゆっくり見てまわることができたのですが、澄んだ青空と緑、もしくは建物との色のコントラストがとてもステキでした。
いろんな色のシャクヤクの花も楽しめます。
萩は秋に咲く花、ということなので、秋にまた行ってみたいと思いました。
コロナが収まって安心して行けるといいですね。
手入れの行き届いた綺麗なお寺です。
閑静な住宅街のなかにあり、日常の疲れを癒してくれます。
毎年秋彼岸の時期には、境内一面を萩が彩ります。
また、牡丹や夏萩、ツツジや大銀杏、芙蓉に木蓮…他にもたくさんの植物が年中入れ替わりで色々な表情を見せてくれるお庭になっています。
バイオリン教室や茶道教室、お写経や坐禅会も開催されており、多くの方が訪れます。
とても落ち着くきれいなお寺です。
阪急曽根駅からすぐの 東光院 萩の寺 花も紅葉の時期も終わってましたが 先週インスタを見て このお寺を知り 行ってみようと思ってたら 限定御朱印がいただける聞き お参りさせてもらいました。
女性の方が 親切に対応してくれます。
境内も いろいろ見て回れて 楽しめます。
通常御朱印二枚と限定御朱印 見開きと腕念珠をいただいて来ました。
次回は 花が満開の時に行ってみたいです。
花の季節に行くべき御寺とは知りつつ、阪急宝塚線 『七福神巡り』をしたかったので、真夏ですが敢行出発です。
『毘沙門天 萩の寺 東光院』、天平年間(735年)行基菩薩が、大阪の中津に薬師堂を建立されたのが始まりで、延宝9年 霊全和尚により東光院と称されました。
大正3年に現在の地に移建されてます。
本尊は行基自作の薬師如来で、七福神毘沙門像は、脇土と共に仁孝天皇の勅許作です。
境内には正岡子規の花の句碑もあります。
「西国七福神集印めぐり」を始めるにあたり、最初に訪れたお寺です。
拝観料として入口で200円を入れる様になっていました。
七福神の集印と併せて御朱印も頂きました。
初めての訪問でしたが、綺麗にされており寺務所の方にもとても親切にして頂け、ほっこりした気持ちに。
秋には萩まつりが行われるとか。
また別の季節にも訪れてみたいと思います。
ボタンがとてもきれいです。
手入れが行き届いており清潔感が漂ってます。
曹洞宗東光院萩の寺新西国三十三所の札所お寺の方が優しく落ち着いて参詣できました。
萩の花を見に行きましたが行くのが遅くて散ってしまっていました。
残念です。
新西国第12番霊場です。
阪急宝塚線、曽根駅からすぐです。
萩の寺というだけあって、萩がとても綺麗でした。
9月23日訪問。
以前に萩の花の見頃の時に行きまして、佇まいの良さに再び参拝しました。
花は終わりかけだったのですが、良い香りに癒やされました。
祭りは終わってたので、静かにのんびり歩けました。
大阪みどりの百選・豊中百景・旧豊中五勝・親西国第十二番霊場・阪急沿線西国七福神第一番霊場・行基菩薩ゆかりの寺・旧大阪(川崎)東照宮約1300年供養の花として萩の花を守り継いでいる萩の寺。
スリランカの仏舎利や重要文化財の降魔座釈尊像をまつります。
また、ご本尊として薬師如来のほか後醍醐天皇念持仏十一面観音、仁孝天皇御勅願毘沙門天、小野篁隠岐島あごなし地蔵、豊臣秀吉公勧請道了大権現などがまつられています。
戦前に大阪市北区から豊中市に移転し空襲を免れたため古い寺宝を数多く当世に引き継ぐ貴重なお寺です。
曹洞宗別格本山新西国三十三箇所観音第12番霊場平成26年9月16日参拝平成29年5月18日参拝。
萩の寺の門をくぐると、外とは違う空間です。
11月3日、まだ萩咲いてなかった。
東光院(曹洞宗永平寺系別格寺院、山号は仏日山吉祥林(ぶつにちざんきっしょうりん))は「萩の寺」とも呼ばれ、境内には多くの萩が植えられています。
もともと豊崎村(現大阪市北区中津)にありました。
明治時代以後、大阪市の都市化が進み、萩の生育に影響すると懸念されたことや、阪急電鉄の創業者小林一三の働きかけもあって、大正3年(1914)に現在地に寺基を移転しました。
由緒によると、天平年中(8世紀前半に行基が間いたといわれ、往古は薬師堂と号しました。
延宝9年(1681)に相模国(神奈川県)功雲寺の霊全が訪れた際に曹洞宗籍に入り、東光院と称すようになりました。
文化年間(1804~18)、大坂住人両替商、殿村平右衛門・中原庄兵衛らの浄財寄進を得た弥天一州(やてんいっしゅう)が伽藍を整備しました。
本尊となる木造釈迦如来坐像(国指定重要文化財、現在大阪市立美術館に寄託)は平安時代後半の毘首羯摩(びしゅけいま)が製作したものといわれ、京都清凉寺の釈迦如来立像と法量・作風・技法が似ています。
他にも、僧恵心(源信)作とされる阿弥陀如来像や快慶の製作という阿弥陀如来三尊像を安置しています。
また、円山応挙が描いた「寿老人図(じゅろうじんず)」といった絵画も所蔵しています。
旧川崎東照宮本地堂(市指定文化財)は、寛文5年(1665)徳川家康を祀った天満川崎東照官(大阪造幣局付近)内に建立されました。
明治時代になると、反徳川の風潮の中で東照宮は廃社となり、明治5年(1872)に東光院が同堂を引き取りました。
本地堂は、明治2年に廃仏毀釈により廃寺となった隠岐国(島根県)伴桂寺(ばんけいじ)の伝小野篁(おののたかむら)のあごなし地蔵を安置していることから、あごなし地蔵堂と呼ばれます。
道了堂はもと小田原藩蔵屋敷にあった鎮守社で、天和4年(1684)の銘札があります。
山門(薬医門)の切妻造で宝暦7年(1757)に全竜(ぜんりゅう)が建立したとの墨書があります。
名前 |
東光院 萩の寺 |
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ジャンル |
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電話番号 |
06-6852-3002 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.2 |
西国七福神巡りでお参りしてきました。
七福神 毘沙門天様境内の手入れも良くて、藤の花も綺麗でした✨雰囲気のあるBGMも流れていて最近行った中では一番よかったです。