2021年3月14日(日)に行きました。
旧西国街道からは、ここに「太田神社」があることはわかりません。
私は、近隣に半世紀以上、暮らしてきましたが、このことを地図で見つけるまで、知りませんでした。
古い神社ですが無住のようです。
社地が、太田茶臼山古墳(継体天皇陵)や高田村、東太田村より低い位置にあり、本殿背後の高まりは古墳と見られるので、神社(古墳)が見下ろすことができる立地から、中臣太田氏の本拠地の太田村の鎮守であるでしょう。
太田神社おおだじんじゃ/おおたじんじゃ大阪府茨木市太田3丁目15-1祭神天照皇大神速素盞鳴尊豊受皇大神大田については「播磨国風土記」に朝鮮半島からの移民がまず紀伊国名草郡大田村にそして摂津国三島賀美郡大田村に更に分かれて播磨国揖保郡大田里に移住したとの記載あり当地方は中臣氏の本貫地であり上記の移民者と融合し「中臣大田連」が一大勢力を築き上げたと思われます故に祭神は神社が言うものではなく中臣氏の祖神である天兒屋根命と思われますなお隣接して太田茶臼山古墳がありますが宮内庁は継体天皇陵としていますが出土遺物から継体天皇時代よりは100年程古いとのことで学会では継体天皇陵の宮内庁主張は否定されていますだれが真の被葬者かが問題でありますがこれだけの大古墳ですから地域の有力者である中臣氏関係が疑われますなおグーグルナビ、純正カーナビでは当社にはたどり着けません、為念2021/2/24 参詣。
改修されたとの事。
綺麗に整備されていました。
社務所は無人です。
小高い所、杉林に囲まれた静かな場所です。
今月、本殿手前の拝殿を改修工事が完了して、屋根も綺麗になりました。
お近くにお越しの際は是非お参りください。
此処にお参りした後は、来た道を引き返すしかありません。
奥を通り抜けは出来ないようです。
これと言った特徴の無い、ひなびた神社です。
太田茶臼山古墳に隣接しており、太田神社との関係が指摘される。
当地は「中臣大田連」の本拠地と考えられ、中臣氏祖神の天児屋根命が祭神だったとする説がある。
太田の地は中臣氏の一族、太田連の地といわれており、最初は中臣氏の祖神、天兒屋根命を祀っていたと思われます。
祭神は天照皇大神、速素盞鳴命、豊受皇大神が祀られています。
太田茶臼山古墳の西側にあり、鬱蒼とした木々に囲まれた約644坪の境内には、本殿・拝殿・石灯籠などの他に、天神社・稲荷神社もあります。
また本殿裏には、継体天皇崩御の際に殉死した人が葬られていると思われる陪冢(ばいちょう)があります。
名前 |
太田神社(茨木市) |
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ジャンル |
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電話番号 |
072-622-4815 |
住所 |
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関連サイト |
https://osaka-jinjacho.jp/funai_jinja/dai2shibu/ibaraki-city/02032ohdajinja.html |
評価 |
3.1 |
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2021年3月14日(日)に行きました。
西国街道沿いに神社への参道が有り、入口には献灯が道路両端に建っています。
この先から神社手前までは住宅街で駐車場は有りません。
数個の建物が有りますが、説明板は無く何の建物なのかは分かりませんでした。
でもしっかり手入れはしてあります。