第26代継体天皇の陵とする説が有力。
JR摂津富田駅から徒歩25分、住宅地の路地を抜けるといきなり緑の森がまさに前方後円のあの横姿で茂っていました。
古墳というものは特別な場所の特別な遺跡と思っていますが、こんなに「日常的な」場所にあることに驚きました。
よく整備されていて、公園としてもいい場所です。
可愛いハニワが置かれています大王の葬式を復元したとのこと古墳の上部も入れる為、散歩には最適かと思われます。
隣の古代歴史館は駐車場無料です。
入館料も無料なのでそちらを見学してからコースがオススメです。
ミュージアムショップにははにたんグッズもあります。
10時過ぎに訪問。
ファミリー層が多数。
芝生広場になっていてノンビリ出来ます。
墳丘に立ち入れるのが魅力!案内板も設置されていて散歩がてら楽しめる。
古墳周辺はサイクリングロードも整備されていて大変良いです。
宮内庁が意固地になって継体天皇陵であることを認めないから、市民が自由に立ち入りできる極めて珍しい古墳。
無料駐車場あり。
併設資料館も無料。
品数は微妙ながらお土産屋もあり。
本日曇りでしたが沢山子供達が遊んでいました。
以前気球に乗れるイベント等もありました。
友人とのサイクリングで摂津峡に向かう途中で立ち寄りました。
街中にこんな大きな前方後円墳があるなんて驚きです。
恥ずかしながら初めて知りました。
古墳は公園になっていて、周囲をサイクリングしたりランニングしたりする場になっており、地域住民の生活の一部として溶け込んでいました。
以前に仁徳天皇陵を訪れた際に、てっきり古墳の中に入れるものと勘違いしていて、ボランティアのおじいさんに「中には入れまへんで。
」と言われたのを思い出しました。
古墳は、一部しか残っていませんが、お堀を散歩することもできます。
古墳設立の儀式の様子を埴輪で再現している広場があり、たくさんのレプリカ埴輪を見ることができます。
近くの歴史館にも足を伸ばせば、古墳についてよく知ることができ、一層楽しめると思います。
子どもから大人まで楽しめそうな所です。
大阪府高槻市の #今城塚古墳 墳丘長181m、濠を含む全長354mの #前方後円墳。
六世紀前半の築造、畿内と北陸・琵琶湖を繋ぐ淀川北岸の #三島平野 、豪華な副葬品や埴輪から王墓、第26代 #継体天皇 古墳説が定説化。
濠にも墳丘にも出入り自由の体感古墳 (検索:ものづくりとことだまの国2021年4月11日)
私が中学生の頃は、毎朝、外濠の縁を通って第二中学校へと自転車を急がせていました。
濠は、田んぼや畑、水溜にされていて普通の棚田と変わりありませんでした。
墳丘に上るとっ小径に埴輪の欠片が転がっていて誰でも拾うことができました。
やがて、南側の住宅地に接していた外濠は、誰かが造成したのであろうサッカーグランドとされて立ち入りしにくくなってしまいました。
また、その付近の土手には、誰かが植えた桜の木があり、近隣住民の花見に使われていました。
古墳の学術調査とともに、市民への学習のための公園としての整備工事が始まると、それを理解しないで「既得権を守れ」と反対運動がおこりました。
政治家やテレビ局まで動員したものでしたが大きなものにはなりませんでした。
学術的にも貴重な大古墳を一部住民の独占物にせず、市民の、否、全国民の共有財産とした高槻市の姿勢には頭が下がります。
結果、公園を憩いの場として、最も利用しているのは、近隣住民です。
今城塚が「継体大王(天皇)」の陵墓であるというのは、埴輪や石室などの年代だけからいうのではありません。
「延喜式」には、継体大王(天皇)の陵墓は「島上郡藍陵」とあり、太田茶臼山古墳は、「島下郡」にあります。
この辺りを「阿武野」と言いますが、本来は「藍野」であることがわかりますね。
「あい」=「出会い」との連想から「藍野」が「あうの(会うの)」となって、「阿武」となったのです。
大相撲の部屋に「阿武松部屋(おうのまつべや)」があり、山口県には「阿武山」があります。
また、ヤマト王権の勢力を示す前方後円墳の形からも言えます。
近年、前方後円墳が航空測量によって詳細に計測された結果。
その墳形を比較できるようになりました。
古墳全体の形、土盛りの在り方などを比較していくと、ヤマト王権との関係が密接であると思われる前方後円墳は、その時代の大王(天皇)の墳墓と相似形であることがわかってきました。
大王との関係が密接であるものは大和から工人(技術者)が派遣されて大王の墳墓の墳形の規格に基づく古墳が作られているのです。
「太田茶臼山古墳(継体天皇陵)」は、羽曳野市にある「誉田御廟山古墳(応神天皇陵)」の半分の大きさ規格の墳形であることがわかっています。
また、5世紀前半の「誉田御廟山古墳」は新しい技術である穴窯で焼いた埴輪を最初に用いたもので、斜面を利用して穴窯の遺跡が残る「新池埴輪工房」と共通するのです。
ところが、「今城塚(約190m)」は、名古屋市の継体大王の后を出した豪族の尾張連草香の墓と言われる断夫山古墳(約150m)、関東の群馬県藤岡市の七輿山古墳(約150m)に墳形の規格を提供しているのです。
ですから、こちらこそ「大王」の陵墓としてふさわしいのです。
古墳の周壕が公園になっており、近隣の家族連れの憩いの場になっています。
古墳時代後期の継体天皇の陵墓である可能性が極めて高いといわれている立派な前方後円墳です。
陵墓内を歩いて回れるところ、出土した埴輪類の様子がよくわかるように整備されていたりするところも他にはそう多くないので、一度は行きたい史跡です。
隣接した資料館も本格的な施設で、周辺にある古墳群との関係や出土品の複製展示や付随する解説なども充実しているので大変に勉強になります。
誉田御廟山古墳(応神天皇陵墓とされています)との関係に言及した解説、埴輪の製造にまつわる近隣の古墳群との関係についての解説などは秀逸だと感じました。
最寄りの摂津富田駅と高槻駅とからはバスが楽ですが、摂津富田駅まで歩くと古墳時代から現代に続く歴史の上を歩いているような感覚を覚えたのもよい思い出になりました。
家、人物、動物など200点以上の形象埴輪が整然と並んでいる。
大王のハニワ祭が再現されているのは日本でここだけだそう。
埴輪が並んでいる広場がある以外は、古墳と広場がある。
最寄り駅は摂津富田駅か阪急富田駅から2, 30分くらい。
摂津富田駅周辺は飲食店もたくさんあるが、立って飲む店は要注意。
感染リスクがとても高い状況は「三密」「大きい声」の場面だが「客同士やスタッフとの距離がちかい」「店の面積に対する密集度が高い」、立って飲むところは感染リスクがとても高い。
英国は新型ウイルスの影響で休業していた居酒屋の営業の再開を認めた時、立って飲む居酒屋は感染リスクがとても高いということで営業禁止になっている。
富田駅の膳も立って飲む店だが中は細ながく通路は狭いことから客同士やスタッフとの距離がちかく、店の面積に対する密集度が高い。
この店は感染対策を行なっておらず、集団感染が発生してもおかしくないが、集団感染が発生したら、ここの飲み客や店主はどうやって責任をとるのか。
(フードビジネスの専門家の記事「『さよなら立ち飲み・バイキング・・』コロナ社会で消える飲食店」を参考)
ここに古墳があることは知っていたのだけど、資料館の見学とセットで行ってきた。
驚いたことは、綺麗に整備されおり古墳の周回を散歩する人や、運動部のトレーニングコースとして多くの人がいて、緑地公園みたいになっているということでる。
真の継体天皇の古墳と学術的に言われてます。
天皇陵で立ち入り出来る唯一の古墳だと言われてます。
古墳好きな人は絶対に行ったほうが良いです。
継体天皇は、第15代天皇の応神天皇の5世孫であり、前代の武烈天皇からも10世くらいは離れてましたが、武烈の跡継ぎが誰もいなかったので、大豪族の大伴氏と物部氏の援助を受けて、大王の地位に就きました。
まさに断絶寸前のオオキミの血筋を繋いだ 継体 の名前に相応しい大王と言えます。
なお、継体が本当に応神天皇の子孫なのか?は学術的に議論はありますが、それを差し引いても継体から1500年近く天皇は続いていると言えます。
継体天皇は古代天皇で実在が確実視される最初の天皇とも言われてます。
例えば祖先とされる応神天皇や前代の武烈天皇も非実在説が存在します。
被葬者:第26代・継体天皇(推定)今城塚古墳は古墳時代後期である6世紀に築造されたと伝えられています。
宮内庁の治定は受けていませんが、第26代・継体天皇の真の陵とする説が有力で、発掘調査が可能な大王陵と言われています。
昔からこの古墳を「陵墓参考地に編入すべし」と議論が交わされましたが、宮内庁は今城塚古墳の陵墓参考地指定については現在も難色を示しており、今城塚古墳から1.3km西にある太田茶臼山古墳(三嶋藍野陵)を継体天皇陵に治定しています。
太田茶臼山古墳の築造は5世紀中葉と考えられており、継体天皇が没したとされる年代よりも古い時代の古墳と考えられています。
現在は公園になっており、多くのご家族の方などが訪れていました。
推定ではありますが、大王陵内に入る事ができる珍しい古墳と思います。
拝:2020/11/08
公園は素晴らしい。
しかし子供と埴輪にのって遊んでたら、カメラ持った70台のお婆さんに叱られた。
のったらダメとは書いてなかったし、みんなもまたがってたけどなー。
監視員かも知れんけど気分悪かったわ。
『ロマン興奮!!古墳巡り』で全国15万基以上の古墳や古墳群の中から今城塚古墳が1位になったそうでいつか訪れたいナァ…とずっと思ってマシタ♬.*゚いやぁ、メチャメチャ広いデスね💦お散歩には もってこいデシタそして、埴輪にもイケメソが居るんだとはじめて知りマシタ(๑´ㅂ`๑)✨
古墳第26代継体天皇の本物の墓とされている。
立ち入り自由。
展示は結構見やすいです。
個人的に好きな場所ですね。
それにここに入場することができるのもすごいことだと思いました。
埴輪さんも可愛かったです。
今の天皇陛下と確実につながる古墳時代のスメラミコトのお墓の上を、ほいほい歩ける奇跡(と、違う古墳を継体天皇陵と定めちゃったままな宮内庁への皮肉w)をしみじみかみしめましょう。
歴史館のスタッフの親しみやすさ、知識量に感謝。
ハニワガーデンも興味深い。
摂津富田からは徒歩で30分ほどかかるのでバスもあるらしいのですが駅前駐輪場でレンタサイクルを借りて訪れました。
まずは公園に隣接する古代歴史館へ。
展示室は無料で入れます。
数々の副葬品や大きな家型石棺などや古墳が造成されてゆく手順などの解説もありました。
6世紀、現代のような重機がない時代に人の手でこれほど大きな物をどうやって作ったのか、気が遠くなるような果てしない作業だったのでは…古墳が雨水を吸って崩れないように排水設備もあったとは驚きました。
博物館で色々学び、記念にお土産など買ったあとは古墳公園へ。
全長350mの前方後円墳は間近ではその全体像を一望できませんが濠の周りも整備され芝生の広場で皆さんが寛いでおられました。
墳丘の上にも入れるので(ペットの散歩は禁止)木の生い茂る前方後円の中心部も歩いてきました。
埴輪祭祀場にはたくさんの埴輪のレプリカが並べてあり壮観です。
高槻市民の憩の場。
休日は親子連れや様々な世代の人々が公園内を気軽にお散歩しています。
人も少なくとてものどかです。
また中央の森の中にも入れるので、ちょっとした森林浴も楽しめます。
2018年の台風の影響が少し残っているところがあり、そこは立入禁止となっています。
第26代継体天皇の陵とする説が有力。
継体天皇は、506年に武烈天皇が後継者が定まらないまま亡くなり、ヤマト政権の有力者が協議して越前の国から迎えた天皇。
従来の大王家とは血縁のない、もしくは血縁の薄い関係であった。
また、継体天皇は、実在が確実な最古の天皇とも言われている。
このころのヤマト政権って、血なまぐさい事件が多く混沌としていたらしい。
そんなところによそから来るなんて、さぞかし怖かっただろうな。
これまでは、古墳が造られるのは大和・南河内が中心だったらしいが、過去のしがらみからも逃れたくて、こんなところに古墳を造ったのかな?
すぐ近くに継体天皇陵がありますが、こちらが真の第26代継体天皇の陵墓ではないかと言われています。
継体天皇は子孫の途絶えた武烈天皇(妊婦の腹を裂いたなどかなり悪辣な書き方をされているので有名)亡き後、かなりの遠縁ながら、今の福井あたりからかなり高齢になってから迎えられています。
奈良の地に入るまで30年かかったとも言われています。
一般的には天皇陵であれば宮内庁管轄となり陵墓の内部はもちろん、周濠の外の一部から覗き見ることくらいしかできませんので、こちらは周濠もほとんど埋め立てられて芝生広場に、陵墓はハイキングコースのようになっていて自由に立入ができます。
墳丘長190mと全国でもトップ40に入る巨大古墳でこれだけオープンなところはかなり珍しいと思います。
古墳に触れられるというコンセプトには賛成ですが、周濠を埋め立てるなどは歴史ファンからみれば暴挙と思わざるを得ません。
土橋部分を一部戻して周濠を復元してほしいです。
整備される前の周囲には、池があり、地元の方が釣りを楽しみ、墳丘は幼稚園児らが遊ぶ絶好の場所でした。
今は見る陰もなく、残念です。
すばらしいコンテンツです!オトナも子供も楽しめます。
こんなに埴輪がたくさんあって、かつ身近すぎるエリアははじめて♡
考古学的にはこちらが継体天皇の真陵であろうと言われています。
古墳を身近なものにしたという意味では多大な貢献を果たしていると思いますが、訪れる人の大多数は古墳に触れるためではなく散歩や軽い運動目的の様に思えます。
今の天皇に繋がる古代の大王の墓をこの様に扱っていいものかどうか釈然としない気持ちが残ります。
古代とは言え祭祀が行われた聖域であり本来は犬の散歩コースではないはずです。
名前 |
今城塚古墳 |
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ジャンル |
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電話番号 |
072-682-0820 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
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評価 |
4.2 |
登れる天皇陵。
実際は、盗掘や地震で墳丘は大きく破壊されている(特に後円部)。
木が生い茂り、周囲が整備されてなければ、単なる丘と間違えられても仕方ない。
陵墓指定されなかったわけでは。
だから立ち入れる。
喜ばなければ。