いっそう神聖な気持ちになります。
駐車場ありますが途中少し狭い道です。
昔、子供のお宮参り、七五三詣りをして頂きました。
ちょっと急な坂を登った先に、神域の木々が見えてきます。
なんとも清々しい神社です。
ひっそりとした元日の午後に。
ご近所向け、徒歩で参拝向けですが、駐車場もあります。
無料の駐車場があります。
お正月は 初詣の人達が沢山いて賑わっていました。
また綺麗に飾られたりしていていつもと雰囲気が全然違い良かったです。
2020/5/20青紅葉が綺麗でした。
地元にこんな立派な神社があるなんて凄く感動しました。
また違う季節にも参拝しに来たいと思いました。
神社南の村からは、檜尾川に隔てられているが、檜尾川は本来、谷口より南流して、安満川(天川)と呼ばれれていた。
たびたび氾濫することから、山麓に新たに堤防を作り、東へと流したため、現在の形になっている。
現在は、神職が在中しているが、5月5日の稚児が乗った三頭の馬が神輿とともに神社を巡る「神輿渡御神事」では、裃(かみしも)を着た有資格者が「宮座」を作り、神社内で「寄合」を行って伝統の祭を運営している。
高槻市文化遺産。
社名の「磐手の杜」は、社地の横の森のことで、歌枕にされ、「言わで(言わない)」の表現として用いられている。
境内の「夜啼き石」は、庭石として、高槻城内へ運んだところ、毎夜毎夜(よなよな)「あま(安満)へ、いのう(帰ろう)」と泣いたということで、戻されたと伝える。
※安満:磐手杜神社を氏神とする村。
とても綺麗な神社です。
駐車場は橋を渡ったところの左手にあります。
境内には夜啼石などもあり奥の赤鳥居をくぐると空気が変わります。
府道67号線に案内板があったのでロードバイクのハンドルを北に切った。
暫く行くと!!この坂登るのか!。
ダンシングでこなし小川を渡ると、新しい扁額が眩しい鳥居が。
山麓の緑に抱かれたお社はやはり気持ちいい。
元は安満神社という名であったが、12世紀に春日社に改めたらしい。
明治に他の神社を合祀し今の社名になった。
この辺り、「安満・あま」という。
いかにも神代以来な感じ。
森に囲まれた由緒あるお社です祭事がない時の静寂な境内にいると、いっそう神聖な気持ちになります。
何時も行っている処なので。
氏子でもあり、存続してほしい。
磐手杜神社は、安満山の南西麓にあり、桧尾川に面してもとは安満神社といいました。
12世紀頃に春日神社に改めて、タケミカヅチノミコト・フツヌシノミコトなどを祭神とし、明治44年(1911)に現在の社名になりました。
春日を冠したのは、当時安満一帯が奈良春日神社の荘園となって、村の鎮守に春日大名神を勧請(かんじょう)したためとみられています。
建久6年(1195)、後鳥羽天皇がこの地を訪れた当時、社殿は壮大で美しかったが、天正年間に高山氏の兵火によって焼失し、元和8年(1622)になって現在の社殿が建てられたと伝えられています。
社頭の森は磐手の杜と呼ばれ、歌枕として名高く、毎年1月15日には、氏子がそろって参詣し粥占いの神事を行い、その年の穀物の豊凶を占います。
また、毎年5月5日には、稚児が乗った三頭の馬が神輿とともに神社を巡る「神輿渡御神事(通称:馬祭)」が行われます。
五穀豊穣と村の安寧を願う農耕儀礼として、村の神事祭礼を担ってきた宮座が中心となり、伝統の祭りを守り伝えています。
広い神社で駐車場もあり参拝しやすい神社です。
この神社の前面の森が古来歌枕の地として有名な「磐手の杜」。
「君にしも秋を知らせぬ津の国のいはでの杜をわが身ともがな」(馬内侍/馬内侍集)「思へども磐手の杜のほととぎす昔に似たり声になれては」(慈円/捨玉集)「しばしとも磐手の杜のもみじはは色に出てこそ人をとめけれ」(源頼綱/夫木和歌集)「思ふこといはでのもりのもみじはは忍ぶる色のふかきとをしれ」(津守国基/続千載和歌集)う~ん、「磐手」と「言わないで」と掛けているね。
夜啼石は一見の価値があります。
奥の杜には寄贈された小さな鳥居が沢山有り、本格的で格調ある神社ですが、こういった一寸おどろおどろしい云われが有る処が良いです。
名前 |
磐手杜神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
072-681-0220 |
住所 |
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関連サイト |
https://osaka-jinjacho.jp/funai_jinja/dai2shibu/takatsuki-city/t28.html |
評価 |
3.9 |
今年の初詣、天神さんは多くて並ばないといけないので、こちらにしました。
適度な賑わいで、歴史もあり、スムーズに行けました。