平八郎はここで教育と著述に専念していた。
いまある造幣局宿舎辺りに大塩平八郎邸はあった。
その邸の一角に洗心洞はある。
長年、奉行所の与力だった大塩は、徐々に幕府の矛盾を知ることになる。
武士が天下を支配した江戸時代、身分の差は越すに越され天下の險だった。
大塩の講義は曇りなく身分を超え、ただ日本人民のための講義だったろう。
ついに大塩は立ったがなんの曇りもなかったに違いない。
心を洗う洞、洗心洞、いい名前だと思う。
ここは、大塩の邸宅に作られた陽明学を教える塾・洗心洞のあった場所です。
今や石碑のみですが、ここで学生たちは大塩に教えを請い、乱の決起を模索しました。
江戸時代の儒学・陽明学者で天満与力の、大塩平八郎の私塾跡で、平八郎はここで教育と著述に専念していた。
当時凶作が続き、庶民は疲弊していた。
そこで自分の蔵書を処分して救済するなどしたが、それに対する幕府の政策に憤激、準備の整わないまま天保8年(1837)2月19日窮民救済と政治の覚醒をめざして挙兵、大砲を放った最初のところである(大塩の乱)。
乱は半日で鎮圧されたが、その影響は各地に波及、一揆が続発して幕府に大きな打撃を与えた。
名前 |
洗心洞跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
大阪市内にある大きな公共施設には、江戸幕府に由来したいわくがありますね。