大阪の歴史を感じられる記念碑です。
大阪は昔より良きにつけ悪しきにつけ水の都だった。
大阪の発展は淀川やその支流、網の目のように張り巡らした水路のおかげだった。
小舟さえあれば大阪のどこにでも行けた。
しかしそれらの護岸工事は江戸期より難渋の連続、川の氾濫だけでなく逆流も起きた。
明治6年に来日したオランダ人三名はこれらを鎮めるための水制工を実施した、と説明欄にある。
このささやかな碑は彼ら三名の尽力を忘れないためのものである。
大阪の歴史を感じられる記念碑です。
明治初期(ドラマ「あさがきた」のころですね)、オランダ人技術者の指導で治水施設が作られたそうです。
彼らの一人は29年間も大阪にとどまり、大阪港の整備にも尽力されたそうです。
明治6年(1873)に来日したオランダ人技師デ・レーケ、エッシェル、ティッセンの3人は、将棊島地先にオランダ式の粗朶沈床による水制工を実施し、淀川の治水に尽力した。
名前 |
将棊島粗朶水制跡碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.1 |
大変に良い。
しかしながら、周辺に極めて有害にして危険な喫煙者、出没注意。