江戸時代における水上交通の要。
船頭舟唄の刻まれた石碑です。
京都・伏見と大坂の八軒家を結ぶ、江戸時代における水上交通の要。
定員30人弱の三十石船を操る船頭の舟唄が情景豊かに刻まれている。
明治期に入ると、蒸気外輪船や鉄道の開通によって徐々に姿を消しました。
桜や桜を楽しむのに適した場所(原文)賞櫻、賞夜櫻的好地方。
天満青物市場の対岸、現在の土佐堀通り沿いに八軒家船着場がありました。
江戸時代の人々はここと京都を結ぶ三十石船で旅をしたり物資を運んだりしたとか。
その頃歌われた歌が歌碑となって残っています。
船頭が口ずさんでいた船唄の歌碑。
「おぉーい、舟が出るぞー。
伏見の浜から、三十石船が出るぞー。
」♪(ヤレサー)伏見下れば 淀とはいやじゃ いやな小橋を とも下げに(ヤレサ ヨイヨイヨーイ)江戸期、伏見から大阪八軒家浜や淀屋橋、東横堀、道頓堀までを往復する三十石船があった。
その情景を歌った舟唄碑がひっそりとある。
対岸にはその八軒家浜が今も残っている。
当時、淀川には三十石船だけが運行していただけではなく、森鴎外の小説で有名な京都から大阪へ囚人を移動さす高瀬舟も隠れるようにすすんでいたろう。
京都から大阪までの沿岸の情景を歌ったもの。
名前 |
淀川三十石船舟唄碑 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.5 |
南天満公園内にあります。