名前 |
松瀬青々生誕地 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
2.8 |
松瀬青々(まつせせいせい)という方は、明治から昭和初期にかけてご活躍なされた俳人との事です。
大阪市のホームページによると、本名は弥三郎、明治2年のお生まれで、没年は、昭和12年。
明治34年「宝船」「倦鳥(けんちょう)」を主宰、大阪俳壇の基礎を築いた方だそうです。
松瀬青々さんは、ご幼少のときから漢詩や詩歌を学ばれ、新聞や俳句雑誌の「ホトトギス」などに、俳句を投句されていたそうです。
「ホトトギス」の発行者は、正岡子規の友人である柳原極堂。
松瀬青々は、柳原極堂に賞賛されると、明治 32年に上京して1年ほど「ホトトギス」の編集に従事なさったそうです。
大阪に帰阪された後は、朝日新聞社に入社、朝日俳壇の選句を担当され、大阪に活況をもたらしたとの事です。