本当に昔の偉人たちに感謝。
中天游邸跡「中天游は江戸時代に大阪で活躍した医師・蘭学者です。
天游は別名で、本名は環(たまき)といい、耕助、融とも名のりました。
天命三年(1783)に、丹後に生まれ、文化二年(1805)に江戸に出て、大槻玄沢・稲村三泊に蘭学を学び、文化六年には京都で、海上随鴎の塾に入って蘭学を学びましt。
大阪にやってきたのは文化一四年ごろで、はじめは靱本町、次に江戸堀で開業しました。
その後、当時は坂本町と呼ばれたこのあたりに移り、天保六年(1835)に亡くなるまでに住んでいました。
著述や翻訳も多く、中でも『視学一歩』という本は、眼のしくみについて書いた日本で最初のものです。
医者の仕事は妻のさだにまかせ、天游は思々斎塾という学塾を開き、いろいろな学問をひろめました。
弟子の中には、幕末に活躍した有名な医師の緒方洪庵がいます。
」
この碑を見るまで名前すら知りませんでしたが、ここからもほど近い淀屋橋で適塾を開いた緒方洪庵の師匠である蘭学医とのこと。
そして、その緒方洪庵の門下で、同じくこの近く生まれ育った福沢諭吉が学び・・・と、まさにここの周辺発で、幕末から明治維新の混乱の世の中で、新しい潮流が脈々と受け継がれていったんですね!
名前 |
中天游邸跡碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.9 |
ずっと探していましたよ。
大阪市立科学館に中天遊の本がありますよ‼️