「梵語津梁」を著した慈雲が享保3年(1718)高松...
慈雲尊者顕彰碑(生誕之地) / / .
東大阪に長栄寺という有名なお寺がある。
その境内に慈雲が修行した禅那台が保存されている。
いわば方丈のような栖である。
生駒山から移築されたものだがなかなかの趣きだ。
その慈雲の生誕地に顕彰碑があるのは、またある意味驚きである。
慈雲が成したことを思えば、後世の人が忘れず、顕彰碑を建立したのは、当然と言えよう。
慈雲尊者と呼ばれるのもまた当然である。
慈雲尊者顕彰碑。
彼の生誕の地だそうです。
品質、納期、支払い … 約束をたがわない様に自らを戒める大阪商人の手本だったそうです。
なにか特別な場所だと感じました。
江戸時代の傑僧慈雲尊者は、享保(きょうほう)3年(1718)当地にあった高松藩蔵屋敷に生まれた。
13歳のとき法楽寺(東住吉区、その頂参照)で得度し、畿内各地で修行研究を重ね、京都で伊藤東涯(とうがい)に儒学も学んだ。
尊者の理想としたのは、当時の仏教界を打破して、釈迦在世のときに還元することであった。
そのため教典の解釈についても、過去の名論、卓説にこだわらず原典に遡って研究解釈を加えた。
それには梵語の研究から行い、それの成果である「梵学津梁(ぼんがくしんりょう)」1,000巻は今日なお世界の驚異といわれている。
その他著作として「十善法語(じゅうぜんほうご)」がよく知られ、また神道についても研究を行っている。
文化元年(1804)没。
「梵語津梁」を著した慈雲が享保3年(1718)高松藩蔵屋敷に生まれた。
名前 |
慈雲尊者顕彰碑(生誕之地) |
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ジャンル |
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住所 |
大阪府大阪市北区中之島5丁目3 〒530-0005 72 ラ ソール ガーデン 大阪 内 |
評価 |
3.4 |
この道をなんども通っているのに、はじめて気がついた。
たぶん、最近説明プレートがとりつけられたのだと思う。
大阪でとても尊敬を集めたお坊さんの生誕の地が、結婚式場の敷地に残り、柵越しに碑が見れる。