昔の長柄橋はもっと下流にあったらしい。
人柱、キジも鳴かずば、の類話はいろいろありますが、いずれも悲しい内容ばかりです口は災いの元、を改めて考えさせられます。
入れません。
昔の長柄橋はもっと下流にあったらしい。
淀川も今とはかなり違っていたようだ。
雉の話しも興味深い。
大願寺から徒歩数分。
金網で囲まれた長柄人柱巌氏碑があります。
金網で囲まれているので,当然参拝はできませんでした。
長柄の架橋工事を成功させようと人柱になった巌氏を弔らった記念碑。
この辺りでは有名な伝説だそうです。
緑に囲まれた独特の雰囲気。
金網の中には,この記念碑を説明した掲示板があったが,緑に隠されて半分ぐらいしか見えなかった。
人柱の歴史を知っている人にとっては,とても感慨深い場所だとおもいます。
できれば,中に入って手を合わせたかった。
金網の外からこの記念碑を見ている自分の姿はとても怪しいだろうなと思いつつ。
人柱の噂は聞いた事がありました。
◆― 長柄人柱巌氏碑 (長柄橋の人柱) ―◆◆推古21年(613年)度重なる長良橋の橋脚工事の失敗で「人柱を立てないからだ、人柱を立てればいい」との声が募り人柱を立てる事になった。
誰にするか?寄合いを何度開いて誰も口を閉ざし決まらなかった。
沈黙が続く中、巌氏(いわじ)という者が「次の寄合いで継袴を着て来た者にしよう」と声をあげた。
ところが次の寄合いでこの事を忘れた巌氏が継袴で来てしまった。
人柱は巌氏と決まった。
橋の橋脚に生きながら括り付けられ徐々に埋められていく巌氏。
「お父さん、お父さん」と泣き叫ぶ娘。
まさに生き地獄。
この光景を見ずして涙せぬ者はなく、皆一様にして堅く口を閉ざし自らの愚行を嘆くもその手を止める者は無し。
只々心の内で「許してくれ、許してくれ」と祈るのみ。
娘の悲しみの声は天に届かず、空しく辺り一面に木霊するだけだった。
そして橋は完成した。
この後、巌氏の娘は誰とも口を利かず不言となった。
やがて娘は美しい女性となり嫁ぐ事になった。
ところが嫁いだ後も「はい」と「いいえ」以外にほとんど口を利かないため、とうとう実家に戻される事に。
その実家への帰路のこと、藪に隠れていた一羽の雉子が「ケーン」と一言鳴いた。
その声に気づいた夫が弓矢で雉子を射たのを見て、不言だった巌氏の娘が涙を浮かべながら「ものいわじ 父は長柄の 橋柱 雉子も鳴かずば 射られざらまし」と詠んだ。
これを聞き妻の思いを悟った夫は妻を実家ではなく、我が家に連れ帰り幸せに暮した。
現在でも継袴を忌めるはこれが由縁です。
JR東淀川駅西口を出て右側の線路沿いを歩いて3分程度の距離です。
低い高架の交差点を左に曲がると直ぐです。
JR東淀川駅西口を出て右側の線路沿いを歩いて3分程度の距離です。
低い高架の交差点を左に曲がると直ぐです。
古代の長柄橋建築のため人柱となった巌氏を記念する石碑は、大阪市淀川区の数少ない名所旧跡の一つです。
単身赴任者の多い宮原、三国、江坂などからの散歩目標としても最適です。
名前 |
長柄人柱巌氏碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.6 |
ただ石碑がある路地。