ビルの片隅で探すのに苦労しました。
新町演舞場跡地。
高層マンションの片隅にひっそりと石碑だけが佇んでいます。
約100年前に建築されたもの。
石碑がマンション敷地の一角にあります。
大阪も商人の街で夜の接待とか、歌舞伎役者も 大阪に来るのに色街が無くなったのは残念ですね。
戦後しばらく新町にも芸者の検番があったのですが、時代の流れで無くなり、今やあ高層マンションとオフィスビルとサラリーマン相手の飯屋の街になり味気無くなりました。
演舞場があった頃は京都のよぅに綺麗処がずらり並び稽古をしたのであろうと跡地を見て思いました。
今はビルの片隅に跡地が非と共にあります。
🙂☺️☺️
大和ハウスはこの有形文化財をマンションの一部に取り入れると説明会で約束したが、出来たら簡単なモニュメントだけ!大和ハウスは、どのマンションの事前説明会でも約束を守らない!
素晴らしいものでもなかったので、どうでもいい。
ただ、思い出としてどうかという点だけです。
ビルの片隅で探すのに苦労しました。
新町芸者は昭和40年台はまだ新町の入り口に検番があり、少しは残っていましたが、新町も高層マンションとホテル、会社の事務所で様変わりし、時代の流れですね❗️その昔道頓堀と新町には芸者がおり華やかな場所でしたが、戦後73年もなれば、100年しとむかしですから、変わるのは当たり前ですねぇ‼️跡地は小さな公園みたいになり綺麗にしてあります❗️演舞場が残らないのは矢張り商人の街で京都は俳優が多く花街が栄える元があるのですね。
祇園も舞子さんのなりて探すのに大変とかどことも時代の流れですが、京都は無くならないでしょうね‼️✌️
タワーマンションが建つ前に、この場所にあった出版取次業者の大阪屋(現 大阪屋栗田 OaK 流通出版)の本社ビル正面には、演舞場時代の建物のファサードが利用されていたので、かろうじてその面影が残っていましたが、タワーマンションがたったことで、その痕跡がほとんどなくなってしまったのは、非常に残念。
幸い、その名残を伝える碑がつくられたのだけが、不幸中の幸いといったところ。
この跡地に関わらず、新しい建物を建てるのもよいが、出来るなら文化的価値のある建造物は、その建造物自体を活かす方法を考えてほしいものです。
破壊文化の極み。
新町演舞場の跡です。
出版流通業社・大阪屋の本社となっていましたが、東大阪市に移転。
残っていた新町演舞場の南側のファサードを跡形もなく壊し建てられたマンションです。
国の税法上の問題もありますが、
以前は大阪屋のビルの正面として、新町演舞場時代の建物のファサードが残っていましたが、建物自体が取り壊されたため、その痕跡は一切ナシ。
タワーマンションがあるだけです。
名前 |
新町演舞場跡 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.2 |
周辺のオススメ
![](./loading.gif)
この辺り、江戸時代には幕府公認の遊郭があったところだ。
華やかな雰囲気だが、遊女たちは隔離され逃げることは許されなかった。
時代が変わった大正11年、新町芸妓などの為に演舞場が建てられたが、それも大阪大空襲で大半が焼失する。
その跡には演舞場などはるかに凌ぐ巨大マンションが建てられた。
今は、新町演舞場跡の説明板がひっそりと残るのみ。