葦姫皇后創建は貞観8年(866)と伝えられています...
階段が結構あります。
車椅子の方の道はあるのかな?道沿いですが引っ込んでいるのでパッと見てはわかりにくい場所にあります。
本殿では結婚式も行われます。
隣の高津の富亭では落語会がよく開催されます。
トイレは新しく増設されたのが外にあります。
上方落語の高津の富で有名なお宮さんです。
仁徳天皇を、お祀りしています。
近くを通ることはあったのですが、お社まで上らずにいましたが、やっと機会があってお参りすることが出来ました。
境内の片隅に、5代目桂文枝の顕彰碑が立っていて、高津の富の世界が蘇ってきました。
驚いたことに、西坂は改修されて、縁結び坂と言う名称になっていました。
これも初めて知ったのですが、高津さんの西側に曽根崎心中の、お初さんのお墓があると、石碑が建っていました。
綺麗に整えられた境内には桜やアーモンドの花が咲いてました。
縁切りの階段や縁結びの階段があります。
本堂は階段を少し上がった所にあり、梅がたくさん植樹された児童公園と隣接しています。
境内のなかに小さい喫茶もあり、生姜と梅のロールケーキ、ぜんざいやトースト等が食べれます。
866年、清和天皇の勅命によって難波高津宮の遺跡が探索されて、高津宮の跡地に社殿を築いて仁徳天皇をお祀りしたのが始まりです。
浪花の地を都(高津宮)に定め、人々の困窮を察して庶民を救済した仁徳天皇の徳政を慕ってのことでありました。
豊臣秀吉が大阪城築城の際、ご神体を現在地に移しますが、後の大阪大空襲で神輿庫を一つ残して社殿は全焼。
その後、神社本庁の別表神社(神職の人事にのみ関わる区別)に加わり、氏子によって社殿が復興されました。
古典落語「高津の富」「高倉狐」「祟徳院」の舞台にもなっています。
現在も境内にある「高津の富亭」ではプロアマ問わず寄席が開かれ人々に親しまれています。
桂分枝最後の口演が演じられたのも、桂文枝一門が関わる「くろもん寄席」でした。
そんな桂文枝を偲んで石碑も建てられています。
谷町九丁目駅からすぐの場所にあり桜の名所です。
公園も近くにあり桜も綺麗に咲き乱れてました。
難波からも自転車で行ける距離なのでおすすめです。
古典落語の「高津の富」が有名で、五代目桂文枝一門が境内の参集殿「高津の富亭」で「くろもん寄席」が開かれていた。
参道に四ヵ所の坂、表参道・北坂・西坂・相合坂があります。
西坂は縁切り坂、相合坂は縁結びの坂としてパワースポットになっています。
大きくはないですが、高台の小さな森みたいな雰囲気のいい神社です。
お気に入りです。
聖帝ひじりのみかど と呼ばれた仁徳天皇の神社です。
有名な人民が苦しんでいるのを見て、税を取るのを止めて、自分はボロボロの衣服や屋敷に住んで、それを見た民衆は聖帝と褒め称えたと言います。
子供の頃の唯一の遊び場でした。
最近 この高津神社の夢を見て訪れました昔のまま変わることなくタイムスリップをしたような気分になれました。
COVID-19でできてなかった 秋祭り今年は、できてよかったです。
こられた方も多く賑わっていました。
仁徳天皇をお祭りする古社ですが、地域を盛り上げるためのイベントなど、いろいろと考えておられます。
秋祭りに参加して、「とこしえの船」に縄を結ばせていただきました。
高津宮(こうづぐう)。
都会の中にあっても緑豊かな神社。
地元の人たちが犬の散歩に訪れたり、ベンチでお昼ご飯を食べたりと、人々の生活に根付いた親しみのある場所です。
すぐに水の気配を感じます。
階段の脇から水がしみ出ていましたし、隣接の公園にも御祓に使えそうな池の後、橋もあり昔はもっと豊かに水か溢れていたのでしょう。
拝殿 裏に回られると緑美しい庭が造られています。
やはりそこには溢れる泉を中央にした庭があり、小さいながらも落ち着ける空間ですぜひ 拝殿裏のお庭をまわられてみてください。
永遠に枯れませんことを願っております。
「上方落語(かみがたらくご)」ゆかりの神社ですけど。
他のお人のクチコミには出てけぇへん「お咄(はなし)」を一つ紹介させてもらいます。
それは、「延陽伯(えんようはく)」です。
上方落語の大名跡(だいみょうせき)「桂文治(かつらぶんじ)」が江戸に移り、江戸落語に取り入れられて「たらちね(垂乳根)」っちゅう演目(えんもく)になってぇい、演じられておる、上方落語の大演目です。
ある日、独り身の若いもん(者)のところへ、世話焼きのオッサンが「縁談」を持ってきます。
その相手が「延陽伯」です。
この娘さん、器量はエエし、まだ若いんやけど、えらいキズを持ってます。
そのキズっちゅうのが、京のお公家(くげ)はんのところに奉公に上がってて「ことばが難しい」っちゅうキズで、オッサンがたとえとして、こう言います。
「わらわこんちょ~、たかつがやしろにさんけぇなし、まえなるはくしゅ・ばいさてんにやすろぉ、はるかさいほぉをながむれば、むつのかぶとのいただきより、どふぅはげしゅ~してしょ~しゃがんにゅ~す」てなことをおっしゃたが、おまはんこれ分かるか?(私、今朝、高津の宮に参詣しました。
(社の)前にある「白酒を売る茶店」に休憩したところ。
遥か西を眺めると、六甲山の山頂の方から埃を巻き上げた強い風が吹いて、目に砂つぶが入った。
って仰ったが、あんたこれわかるか?)今は、周りに高いビルが建ってもうて見えまへんが、このお宮さんの境内から、神戸の六甲山が見えた。
っちゅう訳(わけ)です。
これは「江戸時代」以後のお話です。
この小高い丘は「上町(うえまち)台地」と言いまして、北の突端は何度も「難波京(なにわのみや)」っちゅう都になったことがあります。
仁徳天皇さんが「民の竈(かまど)の煙が見えない」と民衆の困窮(こんきゅう)を嘆かはったところでもあります。
まぁ、その頃は、目の下まで、海が来てまして、民は浜辺で竪穴住居で暮らしてたっちゅうことです。
また、縁があったら、訪ねたいと思います、ほな、さいなら。
なんだかほのぼのとした気分になりました。
桜の季節でしたが、桜も綺麗で満足です。
由緒があるのに陰気。
神主も巫女も暗い顔に暗い話し方で陰気。
お宮参りは他より高くて、撤饌は一生に1回しか使わないお食い初め膳の茶碗3点か4点の物。
仕出し屋で全て揃ったちゃんとした物を用意してもらったので(勿論リユース)使わずにゴミになりました。
時代的にも環境によろしくないかと…。
他の神社ではここより安くて、撤饌は離乳食に使える食器セットで、上の子は未だに使っています。
何より、産まれてこれからの子のお宮参りにあの陰気臭さは無いだろうと言うぐらい陰気な人たちだった。
少し駅から歩きました。
有名な坂の方(狭い階段)から入りましたが、表参道のほうにはスロープもあるようです。
休憩できるスペースやお茶する所もありました。
参拝客は少なく、授与品は受付で呼んだら出てきて下さいました。
近くに公園があります。
街中にある立派な神社。
静かな空気が流れています。
縁結びと縁切りの坂が有名。
周りが町なのに、静かで落ち着けるところです👌公園が下にあり、桜の木が沢山ありました。
きっと咲いたらとてもきれいですよ✨また行きたいです。
違う確かに違う、高津宮の鳥居で一礼し参道を直進、そして階段を上がりきったあたりから空気が全く異なる事に気づきピッと背筋がのびる。
なんだろうか? 詳しく調べてみよう。
祭神は仁徳天皇。
境内にはたくさんの末社があります。
縁結び(悪縁切り)と共にパワースポットで有名。
御朱印は300円でした。
主祭神は 仁徳天皇。
高津宮にお参りさせていただくと なぜか心が落ち着きます。
おみくじは スーッと心に入り 進むべき良い道を示してくれます。
2019年の夏から 伝説の井戸を人力で掘るという「再掘プロジェクト」が行われており 2月に参拝途中でお声をかけていただき 参加させていただきました。
人力で14m掘る際 人数多いほど 引く綱は軽く疲れませんが その逆だと重たくて かなり辛いです。
掘削のお手伝いをした人は 帰りに氏名を記帳し 最後に神様に奉納されるそうです。
後に 完成した伝説の井戸の横を通るたび あの日のことを思い出せそうです。
西暦866年、清和天皇の勅令によって難波高津宮の遺跡が探され、定められた地に仁徳天皇を祀る社が建立されたのが始まりとされています。
700年後、正親町天皇の時に、豊臣秀吉が大坂城を築城した際にご神体を現在地に移しました。
現在の社殿は、戦後に再建されたものです。
こちらの神社は古典落語「高津の富」「高倉狐」「祟徳院」の舞台として知られ、古くから大坂町人の文化の中心地として賑わっていたそうです。
現在も境内にある「高津の富亭」で、五代目桂文枝一門による落語の寄席が定期的に行われており、桂文枝の石碑もあります。
春の高津宮桜祭は大勢の花見客で賑わい、夜桜は特に評判です。
静かな神社。
1月2日にお参りに行きましたが、ゆっくり参拝できました。
都内の中の田舎という雰囲気。
谷町九丁目から私の足で歩いて5分程度で到着しました。
道中の坂や、神社に入るまでの階段が多いので杖や車椅子の方は少し大変かも。
初詣は心新たにするのに大事!新年早々、境内の大木にセミの脱け殻発見!!台風の雨風に負けずしがみついて落ちなかった脱け殻は縁起物。
がんばれーと言われてる様な気がしました(^-^)/ありがたや。
高津宮、かつて古しえの時代に時の天皇が御在所された場所です。
桜の咲く時期にはお花見でいっぱいになります。
富くじで有名。
自称日本一の屋台村とかイベントがある時はびっくりするぐらい人が集まりますけど、行事がないときは静かな神社です。
大阪の歴史ですね。
毎月参拝して1ヶ月の振り返りと次の1ヶ月の気合を入れています。
三下り半の階段です。
正月のとんど祭は賑やかでした。
とんど祭り楽しいよ!
名前 |
高津宮 |
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ジャンル |
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電話番号 |
06-6762-1122 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.3 |
御祭神:本座に仁徳天皇/左座に応神天皇、仲哀天皇、神功皇后/右座に履中天皇、葦姫皇后創建は貞観8年(866)と伝えられています。
第56代・清和天皇の勅命により難波高津宮の遺跡が探索され、その地に社殿を築いて第16代・仁徳天皇を祀ったのが起源です。
天正11年(1583)に豊臣秀吉が大坂城を築城する際、比売古曽神社の境内(現在地)に遷座し、比売古曽神社を当社の地主神として摂社としました。
また、境内には熊野古道九十九王子3番、郡戸王子(こうとおうじ)の推定地である石碑も立てられています。
確証はありませんが、摂社、比売古曽神社が郡戸王子ではないかと言われています。
また当社は、古典落語「高津の富」「高倉狐」「崇徳院」の舞台として知られ、古くから大坂町人の文化の中心として賑わっていました。
拝:2023/01/11