都会の喧騒が忘れられる、古戦場跡です。
天王寺駅からすぐ近くにこんな景観もよくのんびり出来る公園があるとは!茶臼山山頂には真田幸村の逸話が書かれた説明板が複数あり、歴史の舞台になった場所なんだと言うことを感じさせてくれました。
茶臼山付近の散策に伺いましたが、天王寺駅周辺の昔の案内板には茶臼山古墳の記載がありますが、現在の新しい案内板では、大坂夏の陣の古戦場の表記が多く、古墳の表記は少ないような…前方後円墳とも伝えられているようですが、5世紀頃の築造なら、埴輪の出土があってもとは思いますが、出土がない感じですし、古墳としてはよくわからない部分があるようで…。
茶臼山頂上(後円部墳頂?)には真田幸村公に関する説明板が多数あり、興味深く拝見させていただきました。
古墳っぽい高まりには見えないこともないですが…。
天王寺公園の一角にあります。
すぐ近くに通天閣や天王寺公園や動物園、そしてあべのハルカスがあります。
山頂の標高が26Mです。
大坂夏の陣と冬の陣で徳川家康と真田幸村が本陣をはりました。
真田と徳川の家紋があり、特に真田幸村の名言が記されていました。
日本一の兵(つわもの)だ、幸村の戦いぶりは敵ながら天晴れと褒め称えたりなどの文が読めます。
原型は、東方の谷町筋側が前の、前方後円墳だそうです。
今の姿からは想像しにくいですが。
大坂冬の陣、夏の陣で有名な本陣跡でもありますね。
南側の、慶沢園に伸びる真っ赤な橋が、堀の緑に映えます。
一心寺のお参りの後にこちらを通ってから通天閣方面へ。
子供の頃はボート遊びが出来た河底池(通称、ちゃぶいけ)。
現在は鴨やサギの姿が見られます。
池の前のベンチに座ってのんびりされるのも良いかもしれません。
茶臼山は標高26メートルの列記とした山。
山頂には三角点(石碑)もある。
大坂冬の陣ではと徳川家康が、夏の陣では真田幸村が本陣を置いた。
山頂には真田幸村の功績と人となりを讃えるパネルが多数展示されている。
戦国ファン、真田幸村ファンなら是非とも訪れると良い。
更に茶臼山の北には安居神社があり幸村最期の地と併せて訪れると事をおすすめします。
茶臼山付近の散策に伺いましたが、天王寺駅周辺の昔の案内板には茶臼山古墳の記載がありますが、現在の新しい案内板では、大坂夏の陣の古戦場の表記が多く、古墳の表記は少ないような…前方後円墳とも伝えられているようですが…5世紀頃の築造なら、埴輪の出土があってもとは思いますが、出土がない感じですし、古墳としてはよくわからない部分があります。
茶臼山頂上(後円部墳頂?)には真田幸村公に関する説明板が多数あり、興味深く拝見させていただきました。
古墳っぽい高まりには見えないこともないですが…。
古墳と言うより大阪夏の陣で秀吉と幸村が陣を張った事の方が知られていると思います。
天王寺駅から7~8分、都会のオアシスですね。
◽アクセス①谷町線 「天王寺駅」︰徒歩11分②御堂筋線 「天王寺駅」︰徒歩13分③JR 「天王寺駅」︰徒歩11分◽茶臼山古墳概要▪古墳時代中期に築造された前方後円墳. とされてきました。
▪しかし、近年の発掘調査などにより、. 前方後円古墳との説に疑念が生じ、円. 墳若しくは自然の丘陵ではないかとの. 説も出ており、何れとも結論は出てい. ません。
◽大坂の陣の舞台の地▪1614(慶長19)年、大坂冬の陣で徳川方. が本陣を置き、翌年の大坂夏の陣では. 真田幸村が陣を布いたことで広く知ら. れています。
同じ上町にある安居神社. の境内が真田信繁終焉の地とされてい. ます。
◽茶臼山古墳データ▪所在地 ︰大阪市天王寺区茶臼山町1▪形状 ︰前方後円墳▪規模 ︰墳丘長200m▪築造時期︰5世紀▪埋葬施設︰不明▪発掘調査︰1986(S61)年、2009(H21)年▪史跡 ︰府指定史跡 1972(昭和47)年. 「茶臼山古墳および河底池」▪備考 ︰四天王寺境内に、茶臼山から. 発見された(伝)長持形石棺の. 蓋が保存されています。
あんまりにも真田幸村人気先行のために、ここが大阪市内最大級の前方後円墳であることを、ご存知でしたか? 帆立貝式の前方後円墳は当時の古墳ビルダーの傑作です!
大阪の茶臼山に初めて登りました。
標高29m(笑)とかわいい山です。
ここは大阪夏の陣合戦場所でもあり、古墳とも言われてます。
1614年(慶長19年)の大坂冬の陣では茶臼山一帯が徳川家康の本陣となり、翌1615年(慶長20年)の大坂夏の陣では真田信繁(幸村)の本陣となって「茶臼山の戦い(天王寺口の戦い)」の舞台となった。
HP参照家康や信繁が選ぶ場所なのだからよほど本陣するには優れた場所だったのでしょう。
都会の喧騒が忘れられる、古戦場跡です。
あべのハルカスや通天閣も近くにありコテコテの現代の大阪と歴史に名を残す戦国武将が繰り広げた戦の場が隣り合わせで不思議な感覚に包まれます。
標高26mのお山です。
小さな山ですが落ちついた空間だと思います。
大阪夏の陣に思いをはせて。
地元の方が多く、今では憩の場所なのかもしれません。
天王寺駅近く、すぐに登れますので是非行ってみてください。
特に何があるわけでもないけど、この山の上に立ってみると、なんとなく歴史を感じられます。
歴史の舞台です。
想像よりも低い感じで、あっさりしてました。
歴史に興味のない人には殆ど価値がない場所でしょうが、大阪夏の陣の本陣跡として知られる場所ですね。
近くには、豊臣軍を率いた真田幸村(信繁)終焉の地とされる場所もあるので、併せて訪れたいですね。
山頂には、色々な案内が用意されていて、一応、史跡だということがわかります。
三角点の印が有るけれど、これは三角点なのだろうか、疑問が残った。
大阪市立博物館から茶臼山古墳に行く途中の芝生のスプリンクラーが心地好い。
古墳自体は5世紀にこの地の豪族のために作られた墓といわれ、大阪市内でも最大級の前方後円墳だが被葬者は不明である。
1546年(天文15年)、細川晴元の家臣山中又三郎が古墳の後円部に大塚城を築く。
1614年(慶長19年)の大坂冬の陣では茶臼山一帯が徳川家康の本陣となり、翌1615年(慶長20年)の大坂夏の陣では真田信繁(幸村)の本陣となって「茶臼山の戦い(天王寺口の戦い)」の舞台となった。
HP参照家康や信繁が選ぶ場所なのだからよほど本陣するには優れた場所だったのでしょう。
真田幸村所縁の地としての方が有名か。
ここが古墳かどうかはいまだにはっきりしないらしい。
現地には「茶臼山古戦場跡」として石碑が建っている。
この近辺から出土したと伝わる長持形石棺の蓋が四天王寺の宝物館前に置いてあるので、併せてみることをお勧めする。
墳丘長200mの前方後円墳、築造時期は5世紀頃と推定。
ただし、「発掘調査で埴輪や葺石などが確認されなかったことから、古墳ではないとする説もある」とのこと(ウィキペディアより)どちらにせよ、緑が少ない大阪では貴重な公園だと思います。
静けさがいい。
歴史好きの方にはやはり外せないでしようね、ここから家康さんが陣頭指揮を執る合戦の場所ですからねただもう少し歴史的な説明書きがあってもいいかな?
元々は5世紀頃に作られたとされる古墳。
戦国時代には城を建てられたり、重要な陣地にされたりとけっこう手荒に扱われていた。
今はそう言った施設が無く、静かで綺麗に手入れされた公園と言った感じを受けた。
2017年1月7日初訪問。
新世界界隈は意外と時間をつぶせる公演が少ないため、貴重な場所です。
史跡としては特に面白くはありません。
夕方には静かな史跡の公園です。
山頂にはなにもありませんでした。
名前 |
茶臼山 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
06-6761-1770 |
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金土日] 9:30~17:00 |
関連サイト | |
評価 |
4.0 |
周辺のオススメ
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日本一低い山は、大阪の天保山 標高: 4.53 m ですが、茶臼山は 26m と 5.7倍も高い山です。
頂上には大阪夏の陣等の解説も掲示されており 美術館の帰りにでも散策されることをお勧めします。