慶沢園を出て赤い橋を渡り来ました。
特に何もありませんが、ここで真田幸村が戦ったと言う事実があり、当時の事を想像できる人であれば凄く特別な場所だと思います。
山頂付近に【真田幸村の逸話や名言】が書かれた石碑みたいなものがあり、真田幸村の事がより詳しくわかり、敵(徳川側)にも認められ、改めて凄い人なんだと再認識しました。
あべのハルカス🏢もいつもと違う角度から綺麗に見えました。
真田幸村、歴史好きは一度は行ってみるべき。
小高い山?ですが周りにコンビニ、カフェもあります。
公園には人形を持ったおばちゃんがいます。
石碑と案内板しかありませんが散歩にどうぞ!
大阪の陣(1614年〜1615年)において当初徳川家康、ついで真田幸村が陣を構えた人工の小山。
頂上部に案内板およびベンチあり。
豊臣家が滅亡した大阪の陣において、夏の陣(1614年)では徳川家康が、冬の陣(1615年)では真田幸村が陣を構えた場所。
小高い丘となっており、当時は周囲を見渡せ陣場にふさわしい場所だったのだと推測できる。
辺りは静かな雰囲気。
歴史好きなら楽しめる場所だが、興味がなければただの小山。
茶臼山古墳とも呼ばれるが、人工の築山であるのは確実だが古墳かどうかはハッキリしないらしい。
茶臼山古墳、大阪夏の陣真田信繁(幸村)最後の戰場、此処に本陣を築いたのは、真田丸と似ているから?公園としても、トイレ🚻有り、樹木も多く木かげも多く、家族連れにも歴史好きにも良い。
慶沢園を出て赤い橋を渡り来ました。
コロナの影響で人が少なく暑い日でしたが木立が日射しを遮りノンビリ散策出来ました。
お城巡りでお参り 前に来たときよりなんか説明書きとか幸村の名言とか増えてたw
すっかりきれいな勝景地になりました。
いくさじゃ、IXAじゃ、戦じゃああああああああああああああああああああああああ…茶臼山じゃああああ…冬の陣は徳川家康が、夏の陣では真田幸村が布陣。
『難波戦記』の影響で真田幸村という名前の方メジャーになった真田信繁さん。
■20200212近くに用向きがあり立ち寄ってみました。
小高い山を登り、戦国末期の大阪夏の陣に、想いをはせる。
ここに来ると凄く歴史を感じます、大阪冬の陣で徳川家康の本陣と大阪夏の陣で真田幸村の本陣跡ですから。
この頂上から徳川家康と真田幸村は何を見て何を考えていたのか。
特に天王寺のエリアは激戦地区、今は観光地になってます。
近くには真田幸村の最後の場所の安居神社があります。
ちなみに近くにカワセミと言う綺麗な鳥が入るらしく高そうなカメラを📸持ったおじ様達がシャッターチャンスを狙って橋の所で陣取ってました。
僕の携帯ので撮れましたが限界でした。
てんしば近くなのに、観光客が多すぎる訳でもなく 静かで美しい公園でした。
大阪冬の陣では家康公が大阪夏の陣では幸村公が陣を置いた大阪の陣の要所で激戦地となったところです。
真田幸村について書いてあります。
椅子もありのんびりできます。
前に来たときよりも整備されていた。
この石碑のデザインは、なんだか面白いな。もしかして、法螺貝がモチーフなのか?兜の前立てなのかな?茶臼山が真田信繁の本陣跡ならば、信繁の最期の場所である、安居天満宮にも行ってみましょう。途中の一心寺横には、本多忠朝さんのお墓もあります。
ここで、じゃりン子チエとボート乗ってましたが、、今は、貸しボートありません。
ここで、じゃりン子チエとボート乗ってましたが、、今は、貸しボートありません。
大坂夏の陣では真田信繁、冬の陣では徳川家康が本陣をおいたという場所です。
茶臼山と言われる山ですが、古墳だそうです。
名前 |
大坂冬の陣徳川家康本陣跡・大坂夏の陣真田幸村本陣跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.0 |
大阪夏の陣、冬の陣で徳川家康と真田幸村が本陣を構えた場所だ。
JR天王寺から徒歩10分もかからない場所に在る山というより小高い丘の印象を受ける。
街中だが静かな場所。