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名前 |
喜左衛門記念碑と伝和泉式部供養塔 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.1 |
かってこの寺方地区は低湿地であり、排水には特に悩まされてきた。
何度の懇願にも幕府は聞き入れなかった。
我慢の限界に達した庄屋の喜左衛門はついに独断で水路を開けた。
幕府を無視したこの行動は彼の処刑で終わる。
しかしその樋、水路は破壊されなかった。
後年、彼の勇気に感動した人々は顕彰碑を建てる。
喜左衛門の処刑から約250年後、明治15年のことである。
新大和川に水路を開けた西村市郎右衛門も処刑されているが、どちらも勇気あふれ、果敢の人だった。
幕府と人々の命を天秤にかければ、どちらが正しく重いか、二人ともよく知っていたのである。