金融業を営んでいた鴻池財閥が元禄時代に幕府に命じら...
本日無料の日で、しかも素人寄席も無料で開催しており良かったです。
かの豪商鴻池旧邸。
水路を引き込んだり、物流に工夫していたのが興味深かった。
*2021年再訪問。
二年前の前回写真を撮り忘れたので、今回しっかり撮りました。
二回目のほうが「気付き」がありました。
大阪市内からもアクセスがいい場所に、昔にタイムスリップできる邸宅があります。
敷地も意外に広く、庭園も落ち着きます。
とても静か。
資料館がある。
勉強になりました。
リピートしたくなるような、何かあればいいと思いました。
施設内にあるかまどなどを見てとても懐かしい気持ちになりました。
様々な道具が展示してありとても素晴らしかったです。
裏側の出口が自動ドアだったのは面白かったです。
なんだか歴史ある地方都市へ行ったような気にさせてくれる。
駐車場は無いが近所のイオンに置けば良い(有料だが買い物をすれば時間サービスがあるタイプ)。
順路表示があるので見落としなく回れる。
奥の裏長屋門横にトイレがある。
詳しいパンフレットを読むと凄みを感じる。
満足度は高い。
宝永元年(1704年)の大和川付け替えに伴い流れが途絶えた河床や周囲の池を農地に作り変える新田開発した中では最大の約158haで鴻池善右衞門が所有していた事から鴻池新田と呼ばれた新田の管理・運営のための施設です。
昭和25年までの約250年間使われていたそうです。
さすがと言うか資料が残っているのでしょうね。
米蔵の展示は然程多くは有りませんがポイントを分かりやすく説明されていました。
子供向きにアレンジされているビデオは是非観ておきたいものです。
江戸期の新田開発や管理運営がどの様にされていたかを知ることの出来る貴重な施設です。
米蔵が小さいので不思議でしたが資料をみると堀に囲まれた隣のスーパーを含む範囲が当初の会所でした。
有料施設でしたので中には入らずに外観だけ見て来ました🎵結構広大な敷地ですね。
歴史ある建物です。
楽しめるところではないですが、建物が好きな人、建築を勉強している人には一度訪れてほしいです。
大阪の歴史が学べます。
鴻池新田会所は江戸時代に豪商鴻池家が開発した新田の管理 運営を行った施設です。
鴻池新田駅の南にある、大阪では珍しい日本建築の施設です。
私の子供時代、両親の田舎に帰れば このような家でした。
土間があって 縁側があって。
今の大阪には無くなってしまった静かに流れる時間がここにはあります。
The Kamoike Nittakaisho is a facility that manages and manages Nitta, which was developed by the Japanese merchant Ruiike family during the Edo period.This is a rare Japanese architecture facility in Osaka, south of Tsugaike-Nitta Station.It was such a house when I returned to the country of my parents during my childhood. There is a ground and there is an edge.There is a time of quiet flow which has disappeared in Osaka now.
鴻池新田会所は、江戸時代中期に、大阪の豪商・鴻池家三代目、鴻池善右衛門宗利が開発した新田の、管理・運営をおこなった施設。
鴻池新田は1704年に大和川付け替え工事が行なわれ、旧河川や水位が減少した湖沼に生じた沼地を開墾された新田のひとつ。
そういえば、古墳時代はこのあたりは河内湖で、もっと昔は海だったらしい。
数千年前にタイムスリップしたら目の前を魚が泳いでいたりして・・・。
日常生活から隔てられているかもしれないが、間違いなく現代に続いている場所。
屋敷に靴を脱いで上がれたら満点。
重要文化財に、指定されて整備したときに、船着き場が半分埋められたのはもったいなかった。
この北東部の鴻池本町は当時の入植者の家々があり茅葺きや、銅を被せた屋根も1980年代まであった。
それぞれ100~200坪ほどの敷地に南は庭、北には前栽があり、牛小屋、井戸もあった。
入植者の家は平屋造りで二階には米を保存するように造られており、広い土間の天井は一部開くようになっていて、滑車がついていた。
鴻池本町の現在ある道は、ほぼ水路だった。
(鴻池公園の下もJUSCO前はいまも地下が水路)家々は寝屋川が大雨で決壊する、特に「枚方切れ」が起こると鴻池は洪水になるため軒に小舟を吊るしていた。
同時にその小舟で鴻池会所に米を運んでいた。
その船着き場が前出のものである。
Wikipediaにはなぜか米作に向かず蓮根作りが盛ん、と書かれているが この辺りは間違いなく米を作り鴻池会所に運んでいた。
ちなみに田んぼの畦道にて大豆などを作ったものには課税対象にされないため、とても良い地主として「鴻池さん」と親しまれていた。
金融業を営んでいた鴻池財閥が元禄時代に幕府に命じられ大阪市内に流れこんでいた大和川を堺へ付け替え。
その後干拓地として鴻池家が農地経営した新田の会社所在地。
新田会所は農業経営、納税地だけとしてでなく、洪水時の避難所としての役割も兼ねており、大土地所有者が小作人を使用した農業経営の一端が覗える施設である。
会所跡は国史跡、会所は国重文だ。
大阪府下の会所跡でもここが面積、建物共に、一番大きいのではないだろうか。
会所の周りにめぐらされた掘は寝屋川に通じていたという。
大和川付け替え工事の際に付随して行なわれた新田開発。
いわばここはその管理事務所だ。
本屋も立派だが、やはり見るべき価値があるのは文書蔵、米蔵、道具蔵だ。
しかし当時の建物は、何故こんなにも堂々としているのか。
今の薄っぺらい建物が恥ずかしくなってくる。
名前 |
鴻池新田会所跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
06-6745-6409 |
住所 |
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営業時間 |
[火水木金土日] 10:00~16:00 [月] 定休日 |
評価 |
4.1 |
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何故か心が落ち着く空間、やはり日本人なんだなぁと思います。