整備されて、明るくなり、いかにも神様がおられるよう...
蹉跎神社(蹉跎天満宮) / / .
ざっくり由緒①菅原道真が太宰府へ左遷②娘の苅谷姫が追いかける→追いつけず③足摺り(蹉跎)して嘆き悲しむ④菅原道真が自像を送る社務所の女性が気さくな方でした。
枚方南部ではおなじみですが、蹉跎という変わった名前の神社。
「足ずり」という意味で、菅原道真が左遷される途中で休憩したとされ、あとを追った刈谷姫が間に合わずあしずりをして悔しがったという由来の地名だそうです。
今は鳥居から参道と本堂周りだけのこじんまりした神社。
正月二日、コロナ禍で有名神社に行きにくいので、地元神社が混むかと思いましたが、参拝の列は十人程度と意外とすいていました。
梅雨の晴れ間に参拝に行きました。
住宅の間の細い参道を通り、到着。
とても静かで落ち着いた雰囲気でした。
社務所は参道の駐車場の前にあり、そこで御朱印も頂きました。
以前は、鬱蒼としていたのですが、整備されて、明るくなり、いかにも神様がおられるような感じがします。
【夜10時頃から照明がありません】今まで夜8時頃にお参りしたら、常夜灯などの明かりが点いていたので、一晩中点灯していると思い込んで、5月下旬夜の10時頃お参りに行ったら、明かりが全くなくて、境内は真っ暗でした。
長い参道の先にある、鎮守の森に囲まれている。
静かな天神さん。
地元の信仰は厚い感じです。
大宰府に流される菅原道真と道真を追いかけてきたその娘とに関係のある神社です。
第二鳥居から参道の階段を登ると、灯篭が並んでおり、その先に本殿が見えます。
それほど大きくはないですが、趣のある神社です。
鳥居のしめ縄も新しくお正月の準備です。
御朱印をいただきましたご祭神菅原道真公は平安時代の学者で文章博士となられ宇多天皇の信任が厚く右大臣に昇られましたが、左大臣藤原時平の策略によりて延喜元年(901年)正月、大宰権師として京の都より九州の筑紫(福岡県)にあった大宰府(大和朝廷の出先機関)に御左遷の途中、此の山にて休息せられ遥に京の都を望み名残を惜しまれたのち西へと旅立たれました。
この休息せされた山を菅相塚と云います。
都に残られた人々の中でも菅公が特に可愛がっておられました苅屋姫が別れを惜しまれて御跡をしたって此の地まで来られましたが、菅公はすでにご出発されました後でお逢いになれなかった。
此の地で遥に西を望み蹉跎(あしづりすること)して悲しまれたのでその旧跡を蹉跎山と名づけられています。
菅公は身の丈三尺二寸のご自身のご座像をお手づから作られましたものを村人が当山に社殿を造営し近郷二十有五個村の産土神(総社)としてお祀りしました。
その後慶長一九年(一六一四)の兵乱に社殿は炎焼しましたがご神像のみ厳然とませましたので再建され中振・出口両村の産土神として奉祀されました。
創建より幾多の変遷を経て明治五年より郷社に昇格明治二十二年三月社殿を改築し明治四十年八月府告示を以て幣饌料供進社に指定され今日に至っております。
参拝案内記より。
歴史ある地元の氏神さま菅原道真の木像が奉られているそうです。
光善寺駅、南西の小高い丘にある神社蹉跎神社とも、蹉跎天満宮とも言う。
古くは天神さんと地元のひとに呼ばれていた。
菅原道真をまつる神社だが歴とした由来がある。
その昔、右大臣まで出世した道真だが藤原氏に妬まれ、太宰府に左遷にあう。
約900年頃の出来事です。
当時は幼い子は太宰府につれてゆけるが、育った娘は置いてゆく風習だった。
その道真の娘が父を慕い追いかける。
だが、到底追い付けず、この蹉跎神社のある丘で大阪方面を見て、悔しがったという。
また、追いかける娘の存在を知り、道真が近くの丘(菅相塚、かつての古墳とされる)で梅の樹に自らを彫像し、追いすがる娘に残したという言い伝えがある。
その後、梅の樹の彫像はこの神社のご神体となった。
この一事から以来、この神社は道真を祀りました。
人が地団駄を踏み悔しがる様を、『蹉跎』という事から、いまの名前に至ります。
ここへの参道は、天神道という。
江戸時代には大阪、京都への通行で賑わい、淀川の防波堤にあった京街道から、この蹉跎天満宮までの道も同じく賑わったそうだ。
付近は中振村、出口村があり、いまも町名にその名を残す。
太宰府に往き、二年くらいで亡くなった、菅原道真。
京都さる時に詠んだ一句。
『東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな』春の東から風が吹いたら、私(道真)がいなくても咲いて、その香りを(西に)届けておくれという意味。
梅と別れる悲しさや未練から、道真の無念さがじわりと伝わる。
いまも神社は綺麗に清められ、周辺住民の信仰の象徴となっている。
参道にある絵馬堂に、昭和の狛犬。
階段の上にある拝殿前に文化十三年の狛犬が鎮座している。
江戸時代にもかかわらず、とても綺麗な御成りは氏子代々の方に可愛がられた証拠だろう。
狛犬の吽像は口をへの字に結び、関東に比べて厳つい顔つきだ。
これは秋田犬(東日本)よりも、土佐犬(西日本)に馴染みがあるためかなとか勝手に思ってみた。
今も人の往来は多い。
ご年配のかたのウォーキング道のようだ。
なかなか素敵な場所でした。
中振、出口地区の氏神様です。
別名は蹉跎山天満宮とも言います。
御祭神は菅原道真公で、都から太宰府へ左遷された際に後を追った娘の苅屋姫が父に追いつけず足摺り(蹉跎)をして嘆いたのが名前の由来です。
摂社に皇太神宮、金比羅神社、春彦神社、稲荷神社があります。
名前 |
蹉跎神社(蹉跎天満宮) |
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ジャンル |
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電話番号 |
072-831-1550 |
住所 |
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関連サイト |
http://osakadai3shibu.kilo.jp/jinja/hirakata/jinja/sada.html |
評価 |
4.2 |
今日お参りに行きました。
ウサギ🐇の絵が描かれている御朱印が2種類ありました。
今日お参りした時は本殿の手前にテントがあって、そこで御朱印をもらえました。