戦国期に河内守護の畠山氏重臣である木沢長政が恒常的...
天下人の城でしたが、いまは山が残るのみです。
ただし山全体に城があった様子は想像できて想像すれば楽しめます。
野崎駅から野崎観音の裏に周り登るルートと、四条畷駅から四條畷神社の横を抜けて登るルートがあります。
その他いくつがある模様。
頂上に登ると西はあべのハルカス、南海なんば駅ビルなど見えます。
北は京都大阪の街道、淀川が一望できます。
この城は、河内の守護代木沢長政のものでしたが、三好4兄弟の長兄三好長慶に奪われて、以降は三好長慶の城になります。
三好長慶は、阿波徳島の三好という山奥から管領細川家に仕え、細川家で出世し、主人の家を牛耳り栄達しました。
その過程で、利用したのが吉野川の水運をつかい、また淡路島の水軍を手懐け、勢力を拡大しました。
飯盛山城の北にも淀川があり三好家の勢力拡大に水は大きく貢献したのだろうと推測されます。
三好長慶は、阿波(徳島県)から近畿に入り、紆余曲折を経て、飯盛山城に本拠を置きました。
それでも、本拠地の阿波、讃岐(香川県)には弟の三好実休を配置し確実に後方を固め、阿波と大坂の中間の淡路島には同じく弟の安宅冬康に水軍を統率させ、制海権を確保しています。
さらに阿波の対岸、泉州岸和田城(大阪府)には末弟の十河一存をいれました。
阿波から飯盛山城まで確実に固めているとわかります。
ちなみに息子の三好義興には、飯盛山城の北の芥川山城を譲り、南北から京大坂間の街道を抑える形を取っています。
重臣の松永久秀には、大和(奈良県)を抑えさせ、その弟松永長頼には丹波八木城(京都府)を守らせました。
三好家の支配地域は8カ国にのぼり、織田信長の前に天下を取った一人目の天下人といわれることもあります。
もっとも、盛者必衰の理は三好家にも襲いかかります。
織田信長が桶狭間で今川義元を倒した年の翌年、十河一存が30歳で急死します。
そして、半年後には三好長慶の右腕と言われた三好実休が久米田の戦いで戦死します(37歳)。
同時期に松永長頼も赤井直正に敗れて戦死します。
そして、唯一の跡継ぎであった三好義興も25歳で急死すると、三好長慶自身も精神を病み、翌年に病死します。
42歳でした。
桶狭間の戦いから四年程度で屋台骨をことごとく失った三好家は、大きく力を落とすことになりました。
それでも、飯盛山城で栄華を極めた瞬間はあったわけで、我々も登ることで三好長慶の心情の一欠片は知る由はあるかもしれません。
登る価値のある山だと思います。
天下人の山城です。
山頂からの見晴らしは素晴らしい。
しかし、険しい山道が続き、もはや登山です。
足腰が辛い方は登りだけでも、野崎駅からキャンプ場までのタクシー利用をお薦めします。
四條畷神社側から20分ほどで登りました〜登山道が整備されていて非常に登りやすいですね〜この時期は色んな生物に出会えるので楽しかった〜
生駒は意外と無料で見れる夜景スポットがないので昔からのお気に入りです。
六甲山とは違い近い距離で見れる夜景はまた別の楽しみがありますねただ道はなかなか険しいので運転が苦手な方はやめた方が良いと思います(笑)
気持ちよく登れました。
景色もいいですし、大満足でした。
ただ、四条畷駅方面の下りが険しいので、靴はそれなりの準備をした方が良いと思います。
野崎観音から四條畷神社まで歩きました。
約1時間半位。
そんなにきつくないですが、滑落しそうな所もあるので、1人で登るのはおすすめしません。
が、山頂からの景色はすごく良いです。
景色が良いです。
数カ所石垣が残っていますが、崩れそうで心配です。
このほど国史跡への指定が決まった城址飯盛山山頂にあり、低山ながらなかなかの見晴らし曲輪等も分かる形で現存している。
ここ飯盛城は三好長慶(ながよし)が居城とした場所。
「信長に先行する天下人」と言われるぐらい当時、畿内をまとめていた人物。
安土城よりも前に、この人は石垣作りの城を既に作っていたのである。
名水で淹れた珈琲で朝ご飯。
歴史を感じる事もできるし、眺めも良い。
守る側の視点と攻める側の視点で想像しながら美味しく朝ご飯。
続・日本100名城の160番古くは南北朝時代からある山城で四条畷の戦いにおいて楠正行らが陣取った山とある。
戦国時代においては三好長慶の居城でもあったとの事である。
山頂から眺める大阪平野は爽快。
天気が良ければ淡路島も良く見える。
また、大戦中の空襲監視をしたような監視小屋が山頂にある。
スタンプは3か所あるが、いずれも山頂からは遠いです。
要確認して登山計画を練って下さい。
家から近いのでちょいちょい登ってますが、戦国武将の三好長慶が居城にしただけあって、とにかく見晴らしが素晴らしい。
西側では淡路島は勿論、その左奥にうっすらと三好長慶の本拠地である四国の島影が見える。
北は六甲山系から続く山並みが高槻の奥亀岡まで延びており、東に目をやれば京都から滋賀が一望でき、北陸に繋がる朽木や木ノ本辺りも視界に入る。
登山ルートもいくつかあって、健脚であれば四条畷神社からのきついルートがお勧め。
軽い散歩で行きたければ東大阪野外活動センター側からが優しい。
センターから2分ほど行くと道が広くなっていて、5台ほどは駐車できる。
かなり遠いが、隣接のむろいけ公園から権現の滝を経て南公寺経由で城跡へ行くルートも、ウグイスの声を聞きながら楽しく歩ける。
これからの季節、蜂に注意だけど本当にオススメです。
但し、くれぐれも火気厳禁で‼️
飯盛城跡(いいもりじょうあと)は、飯盛山の山頂に四條畷市と大東市にまたがって存在する中世の山城跡です。
その規模は南北約700メートル・東西約400メートルを測り、近畿地方では最大級のものです。
城内には、多くの曲輪(くるわ)や堀切(ほりきり)・土橋(どばし)といった場所が良好な状態で残っています。
平成29年4月6日に、公益財団法人日本城郭協会により「続日本100名城」のひとつに選定されました。
この山城は石垣が多くの曲輪で用いられていることが特徴です。
これらの石垣は石材をほぼ垂直に積み上げており、なかには数段にわたって築いているものもあります。
石垣を多用した城としては織田信長が築いた安土城に先駆ける貴重なものです。
飯盛城はもっとも初期に石垣を使い始めた城で、後の時代の城のように石垣の上に直接建物が乗るのではなく、石垣は城を作るために盛った土の押さえであった可能性があり、城の威容(いよう)を示すためのものだったのではないかと考えられています。
お城巡りでお邪魔 当然城跡ではあるのだが楠さんとこの弟さんが祀られてるのと三好さんのお城らしい 三好さんで大河を!とか書いてたが今回の麒麟さんで重要どころだったしねえ 下って歩いてたら楠公って地名があるんだな そういうのが根付いてる土地なんだな。
中世山城城郭の中では、石垣・石塁の遺構の状態が非常に良い。
飯盛山城の縄張りとして、最高地点315.9mに高櫓曲輪が築かれ、南北一直線上の尾根伝いに主要な曲輪群、東西の尾根の先端部にはそれぞれ曲輪を築いている。
高櫓曲輪は、25m×15mの削平地があり楠木正行の銅像の建っているその北側に本曲輪があり、その下に山城では珍しい石垣がある。
その本曲輪下以外にも石垣があるが、これは土塁止め程度と思われるが、この本曲輪下の石垣は滝谷、東側からの防御用の可能性も指摘されている。
三好長慶が、かつて居城としていた芥川山城も同様の石垣が見受けられるため、三好長慶の改修時に築かれた可能性がある。
但し山城での石垣は珍しいので、三好長慶の改修時ではなく、織田信長の落城後に再構築した可能性も指摘されている。
三好長慶の山城であり、一度訪れてみたかった。
プチ登山です、と書いておられる方がいらっしゃいましたが、私にとってはプチでなく、ガチ登山でした。
頂上からの眺めは最高。
ただ、途中、道が枝分かれする所が多数あるのに、案内板が少ない!目当ての石垣も、あまりにもわかりにくい。
行かれる方は、事前に案内マップを手に入れておかれる事をオススメします。
FM802の飯森山送信所まで、車で行けなくはないが普通車は止めておいた方がよい。
運転に自信の無い人は軽でも止めといた方がよいかも。
大東市の施設から歩いていくのが一番楽かもしれませんが駐車場が狭いので満車になることが多いです。
四條畷駅から歩いていくのが正統派だと思います。
近所に引っ越してから10年近くのなるのにこんな景色のところがあるなんてっ!!登山で疲れても、景色を見れば疲労は一気に回復!!ただ、三密回避のつもりでも現地は結構人が居ました。
お弁当を広げるところが少ないかな⁉️😁次は四条畷から登りたい⁉️
三好長慶のお城。
石垣を用い始めた時代の山城で、所々に遺っているのが魅力的。
石垣の写真を撮ろうと思うと、崖から落ちそうになるところがまた良い。
何回か行くけど飯盛山は、良いハイキングコースです。
歴史的には非常に古く、価値ある史跡。
山歩きにもとても良い、
典型的な中世山城。
大阪から京都への眺望は良い。
戦国中期に覇を唱えた三好長慶がここに城を構えた理由がよくわかる。
ただ城の保存状態は悪く、織豊時代の城をイメージすると拍子抜けする。
すぐ下で大阪産業大の人達が走り込みしている。
ウン十年ぶりに登りました。
昨年の台風で、ずいぶん木がなぎ倒されていて、なんとかしてあげて欲しいと思いました。
ウグイスが鳴いて、ホントに癒やされる場所なのに、頂上にトイレが無い為か、臭いが臭くて驚きました…行政さん、なんとかならない…?🙂
本当に山城です。
本格的に登山になります。
水など用意していかないと売店や自販機などは全くありません。
お弁当など持参で行く方がおススメ出来るほどです。
2回ほど登りましたが基本的には半日くらい掛かります。
走って登られる方もいらっしゃいましたがかなり勾配などキツイです。
ちなみに城跡ですがほぼ城の跡は見受けられません石垣が少し残っている程度です。
2018年4月に訪問。
続日本100名城の一つ。
標高315mの飯盛山に築かれた山城。
南北朝時代に築かれたと考えられており、戦国時代は三好長慶公が居城としていたお城です。
登山道にもなっているため、城の遺構はあまり残っていませんが、石垣や堀切跡を見ることができます。
また、石碑のある場所や、山頂から大阪を一望でき、とてもきれいな景色です。
JR四条畷駅方面とJR野崎駅方面の両方から登山口があります。
四条畷駅方面は四条畷神社近く、野崎駅方面は慈眼寺(野崎観音)近くにあります。
どちらもGoogleMapに登録されてますので、そちらを参考にするのが良いでしょう。
u003cアクセスu003e四条畷駅から登山口までは徒歩15分。
野崎駅から登山口までは徒歩25分。
各登山口から山頂までは50分~1時間ぐらい。
u003c料金u003e無料u003c続日本100名城スタンプ設置場所u003e四條畷市 歴史民俗資料館(月曜日休館・9:30~17:00)
伝馬場跡の楠公寺までは車でいけます。
阪奈道路から大阪桐蔭のグラウンドを目指していくと途中に楠公寺の看板が出てきます。
道は狭く、砂利道もあるので注意が必要です。
東西は切り立った斜面となっており、石積や堀切など遺構も良好に残っています。
規模も大きく、見所はたくさんあります。
何より素晴らしいのが眺望。
二ノ丸の史蹟碑のあるところからは京阪神全域を見渡すことができます。
位置的にも京、大和、堺、どちらにも近く、当時の畿内はあちらこちらで戦が勃発していたため、迅速に対応しよう、睨みを利かせよう、とここに居城を定めた三好長慶の思惑が見て取れます。
規模、ロケーション、ともに天下に覇を唱えようとする大名に相応しい城です。
足元も悪いので下見とライトは必須ですがここからの夜景も綺麗ですよ^^
野崎駅→野崎観音→飯盛山頂→飯盛城跡→四條畷神社→四條畷駅のルートで登城しました。
登りは約60分、下りは約40分でした。
整備されたルートですがなかなかキツかったです。
城跡としては山頂主郭部近辺に千畳敷、削平地が数箇所、石垣が数箇所、堀切等です。
石垣のみ一箇所看板がありましたが他は看板や説明板等がなく遺構がわかりづらかったです。
戦国城郭がよく残っている貴重な城跡です。
運動に良いです、景色も良かったです。
314mの低山ですが、山頂からの景色は、晴れていれば、滋賀県の山から京都市内、北摂、六甲山系、明石大橋、淡路島、大阪南部の山々と大阪平野が、見渡せます。
阿倍野ハルカスと目線は同じ。
学研都市線の野崎駅、四条畷駅からプチハイキングにいいです。
1時間もあれば登れます。
地元なので、星5つ(笑)f(^_^)
山の上から大阪のビル群を一望できます。
軽くハイキングする場所としてオススメ。
同じような場所として交野山がありますが、わたしはそちらのほうがハイキングコースとしても見晴らしとしても好きです。
「飯盛城 拠りて長慶 覇をきそう」戦国前期、畿内を制圧した謀略家の守護大名、三好長慶だ。
この飯盛山頂上〈高さわずか315メートル〉に堅固な山城を構築、小振りながらも山容は厳しく、ほぼ難攻不落だ。
登頂には、古道を含め現在10本近くのハイキング道があるがいずれも急峻だ。
しかし城跡の痕跡は僅かに残るばかり。
頂上からは京都方面から大阪平野に至るまでの全域が見渡せる。
長慶がこの城を居城にした理由がわかる。
名前 |
飯盛城跡 |
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ジャンル |
|
電話番号 |
072-870-9105 |
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト |
https://www.city.shijonawate.lg.jp/site/bunkazai-shiseki/1857.html |
評価 |
4.0 |
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南北朝期に陣城として使われ、戦国期に河内守護の畠山氏重臣である木沢長政が恒常的な城として築いたようです。
その後、河内から畠山氏を逐った三好長慶の居城となり、反撃してきた畠山高政が紀伊や大和衆を率いて攻撃しましたが、三好勢に教興寺の戦いで敗れています。
結局、畿内から三好勢を追い払った織田信長により廃城にされました。
足に自信のある方は、各曲輪跡や石垣跡、堀切を見ながら散策するのがお勧めで、展望台からの大阪や淡路の眺めは一見の価値があります。