西と北はなだらかな山の山頂にあるみはらしのいい登り...
門脇小学校側からですとかなり急な階段を登ります。
小高い場所なので眺望は良いです。
鹿島御児(みこ)神社。
日和山山頂に鎮座していて、地元だと日和山神社の呼び名で親しまれているそうです。
眼下に広がる太平洋と、旧北上川河口の眺めは素晴らしいです。
御朱印は拝殿脇の社務所で書き置きを頂きました。
2024年2月4日に初めて訪れました。
石巻観光の途中で立ち寄りました。
鹿島御児神社は約1100年前より石巻日和山に鎮座し、ご祭神は武甕槌命 鹿島天足別命の親子二柱で武神を祀っているという神社でした。
高台にあり太平洋側への景色が最高に綺麗でした。
大鳥居があるところには、東日本大地震前の写真なども設置されていて、今の整備された広い公園などの比較もよく分かりました。
すぐ隣には石巻城址や休憩所などもあり、ゆっくり散歩しながらくつろげる公園もあるので、一度は訪れてみてはと思います。
宮城県石巻市日和が丘地区に鎮座する「鹿島御児神社」です。
標高約60mの日和山山頂に鎮座する鹿島御児神社の境内は石巻城が築城されていた本丸跡です。
2021年(令和3年)に新しく高さ7mの新しい大鳥居は旧鳥居よりも神社側に1m位置を移して建立されました鳥居がある展望台からの景色は眺望が抜群で石巻湾が一望できます。
御祭神は武甕槌命 鹿島天足別命です。
境内社に日和山天満宮・八幡神社・稲荷神社・愛宕神社・善海田稲荷神社。
宮城県石巻市日和山に鎮座、石巻市の中心の日和山公園に在り景色は絶景、春は桜が綺麗で海側から見上げれば堂々とした鳥居が見え石巻市の街を守ってるシンボルに思います、石巻市と言えば東日本大震災でも一番の被害者を出した地でも在り、海寄りの地域は家屋が建つ隙間等無い程でしたが今は原型が無く公園になりました、そんな石巻市をずっと見守り石巻市の人々の心の支えになっていた事でしょう、前から知っては居ましたがいざ何の神さまでご利益はと聞かれると答えられ無いもので引用して調べて見ましたら、ご祭神は武甕槌命 鹿島天足別命の二柱で武神を祀って有り、ご利益は勝利の神として職業繁栄・悪疫除け・鬼門除け・安産の神・海上安全・交通安全祈願の守護神なんだそうです、パワースポット、仏閣、神社巡り、絶景、景色撮影、震災復興地、宮城県石巻市観光、参拝、散歩、御朱印集め等好きな方には是非訪れて見て下さい。
社務所にて各種御守り、お札、書き置き御朱印等頂けます。
数年前に娘が学生の頃、よく2人で来てました。
今回は夫と2人で訪問です。
参拝後はベンチに座り海を眺めるのが大好きです写真はおととしの夏です。
日和山の頂上にある素敵な神社ですだけど…東日本大震災のときはこの神社の境内もすごい悲鳴や怒号が飛び交ってたんやろな💦今の閑な景観からは想像も出来ません。
目の前に海が見える神社です。
鹿島御児(かしまみこ)神社と読みます。
延喜式神名帳にも記載されてる歴史ある神社です。
御祭神はタケミカヅチノミコトです。
鳥居越しに見える海は絵になりますね。
御朱印も頂けました。
2022年8月12日に参拝しました。
祭神は、武甕槌神とその息子である鹿島天足別命です。
鹿島神宮の祭神である武甕槌命と香取神宮の祭神経津主神は、東北の蕃地をたいらげたといわれます。
鹿島天足別命と経津主神の息子阿佐比古命は、東北の地を開拓したと伝わっています。
この神話をもとに宝亀11年780年に陸奥鎮守府副将軍百王俊哲が奏上したことが起源のようです。
神々が乗った船を港に着けた際に投錨した錨が石を巻き上げたと言います。
この伝説が、石巻の地名になったそうです。
鹿島天足別命を祀る神社は、福島県から宮城県沿岸部にかけて散在します。
日高見系のアラハバキを朝廷系の天孫が駆逐していく経路かと思われます。
東日本大震災に被災した社殿は、令和元年2019年に横浜市の伊勢山皇大神宮より譲渡されました。
日和山公園鹿島御児神社2016年に訪れてから、6年ぶりに訪れました。
津波に襲われて、この山まで皆さん逃げてこられた場所です。
「がんばろう!石巻 看板」のとなりにあったプレハブが、ガラス張りの建物「みやぎ東日本大震災津波伝承館」となり、新たに「石巻市南浜マリーナ」ができてレジャーボートがたくさんありました。
東日本大震災(2011年3月11日)から11年。
いまだに苦しんでいる人々がたくさんいますが、このように街は変わってくるのですね。
不思議、複雑な気持ちになりました。
初めて参拝しに来ました。
神社は小高い山の上にあり、車で駐車場まで上がって来られました。
神社からは太平洋側が良く見えていて、桜もまだ見られました。
神社の方から昨晩珍しくこの時期に雪が降ったと聞きました。
境内はなかなか素敵な感じがしました。
鳥居から望む景色は素晴らしかったです。
川と海のある東と南は急峻で、西と北はなだらかな山の山頂にあるみはらしのいい登りやすい立地。
城を構えるにはうってつけ。
実際に鎌倉時には葛西氏の城があったらしい。
名前と御祭神の通り、鹿島大明神の子孫が来た痕跡を示す神社。
当時から城の扱いだったことは想像にたやすい。
塩竈神社の次の拠点だったのだろう。
+3
考察この神社は、茨城県鹿島大社の祭神タケミカツチ様とその御子カシマアマタリワケ様となっています。
石巻市と言えば2011.3.11の東日本大震災で甚大な被害を受けて知名度が高い自治体となっています。
しかし、この神社は、日和山と言う高い山頂にあり、津波被害を全く受けていません。
ここ日和山には、日和山公園があり、桜の名所でもあります。
東日本大震災の時は、この日和山を目指して車で逃げてきた人達は、渋滞につかまり、殆どの方々が亡くなりました。
運良く近くの小学校の3階に逃げられた人は助かりました。
普段から、高い場所と言う認識は、ここ日和山か羽黒山でした。
今は、すっかりハードは復興しました。
さて、茨城県の祭神タケミカツチ様と言えば、イヅモ(出雲)の国譲りですね。
兄のフツヌシ様(香取神宮)と弟のタケミカツチ様が、アマテルカミ様(天照大神様)の弟ソサノヲ様の御子であるオオナムチ様が、余りにも精力的にイヅモ(出雲)「当時のサホコ」の国を発展させ、天をも凌ぐのか?とま言われるくらいのお宮を建て、周りは八重垣としてしまったばかりに、朝廷から睨まれ、クーデターを起こされると思われ武士の達人フツヌシ様とタケミカツチ様がアマテルカミ様(天照大神様)の勅でオオナムチ様の任を解かれたのです。
クニカミ(国司)と言う役職です。
この任を解くことを「カシマタチ」(鹿島絶ち)と言います。
島を切ることです。
ソサノヲ様が国を治めていた時代は良かったのですが、息子の代が、目に余るものがあったと言うことです。
高さ48㍍の御宮ですからね。
オオナムチ様は、左遷され妻である宗像三姉妹のオキツシマヒメ様(タケコ様)と共に青森県津軽にて活躍され発展に尽力されたのです。
継国魂神様(ウツシクニタマ様)と言う贈り名を7代目のタカミムスビのタカキネ様から賜りました。
岩木山神社に祀られています。
奈良公園には、多くの鹿がいます。
その鹿の親は、タケミカツチ様の鹿島神宮から連れていったものです。
By ロックベル。
元日、粉雪が降る天気でしたが初詣に行きました。
駐車場警備員もいてスムーズに駐車できました。
御守りは沢山種類があるんですが、可愛らしいキャラクターものが多いのは少し神社らしさがない気がしました。
初詣でに初めて行きました。
太平洋をのぞむ景色は、心が癒されます。
お客さんが思ってた以上にいて密に気を付けました。
有りがたく御朱印も頂く事が出来ました。
神名帳の陸奥國牡鹿郡の項に鹿嶋御兒神社と記載のある式内社。
北上川の河口近くの日和山という小高い山の頂上にあって、復興工事中の石巻港周辺を眼下に見下ろすことができる眺めの良い場所に鎮座。
当社は三代実録に記載のある陸奥國鹿嶋苗裔神三十八社のうちの一社。
御祭神は武甕槌命と鹿嶋天足別命となっている。
天足別命は宮城県亘理郡亘理町逢隈鹿島の鹿島天足和氣神社もあることから、鹿嶋神の苗裔神であり、当社の本来の神、一座であることはまちがいない。
・当社のHPによると、往古関東の鹿島、香取の両神宮の祖神の御子神が共に朝廷より命を受け、海路、奥州に向かい、蝦夷の征伐と開拓経営にあたることになった。
その船が石巻で停泊した際、錨を巻き上げるときに、石も巻き上げたため、この地を石巻と呼ぶようになった。
・また、この周辺に牡鹿柵(おしかのさく)があったとも書いてあるが、牡鹿柵は数年前の発掘調査で東松島市の赤井にある赤井遺跡が有力とされている。
しかしこの石巻は古代から多賀城からも近い天然の良港であり、東北の蝦夷征伐、蝦夷地開拓の海路ルートの重要拠点であったことに間違いないし、北上川を遡って、水沢市のほうまで行くこともできる。
現に、ここから北上川を水沢まで向かう途中に、式内社はとても多く分布している。
・鹿島苗裔神三十八社がヤマト王権東北進出の重要拠点に置かれたことがここでもはっきりしているように思う。
鹿島御児神社 石巻 2020/10/03石巻市を一望できる山頂にある。
普通はS字状に道を作って、傾斜をなだらかにする訳だけど、山頂へ向けてほぼ直線。
これって原付とか力の弱い車は登れないぞ!! 山頂にある神社は鹿島御児神社。
天気が曇り空なので、景色がイマイチ映えない。
金兵衛茶屋立ち寄らなかったけど、写真整理しながら、石巻焼きそばと三色団子食べてくればよかったなぁ~と少々後悔。
石巻老舗和菓子屋さんの「二色餅(ふたいろもち)」の出張販売があった。
駅前に店があり、気になっていた。
餅は本物の餅使っているので、当日食べないと硬くなってしまうタイプの昔ながらの餅。
赤が白餡、白が小豆餡。
震災と老朽化でダメージを受けた本殿と社殿、社務所を建て直し再建し新しく綺麗で立派になりました。
御朱印を頂きに参拝しました。
石巻市の日和山山頂にあり、景色が良く綺麗でした。
震災の時、津波をここで大勢の人達がみてたと思うと悲しくなりました。
石巻の港⚓️や海が一望できます。
初詣、初日の出🌅で賑わいます。
春には桜🌸やツツジが綺麗に咲きます🌺
当社は、延喜式神名帳所載の式内社で、国史現存社として最も由緒深い神社であります。
ufeffufeff当神社創建の由来・縁起について、これを明らかにする史料がありませんが、従前の調査、および史跡・口碑・伝説・社蔵文書の調べによりますと、往古、関東の鹿島、香取の両神宮祖神の御子が共に命を受けて海路奥州へ下向し、東夷の征伐と辺土開拓の経営にあたることとなり、その乗船がたまたま石巻の沿岸に到着、停泊して錨を操作した際、石を巻上げたことから、石巻という地名の発祥をみたのだとの言い伝えがあります。
ufeffufeff石巻に上陸された両御子は先住蛮賊地帯であった奥州における最初の足跡を記した大和民族の大先達であり、開拓の先駆者として偉大な功績を残された地方開発の祖神であります。
ufeffufeff当社は代々、使臣、藩主等の尊崇厚く、社領を寄進し、幣物を贈り、また社殿を修築し、宝物の寄進等あり。
明治七年、旧村社に列す。
大正十年、旧郷社に列格。
昭和十年、県社に列格。
ufeffufeff当社は勝利の神として職業繁栄を守り、悪疫除けの神、安産の神、鬼門除けの神、海上安全の守護神として、また交通安全祈願の霊験著しく、その信仰ますます盛んであります。
ufeffufeff祭神ufeff・武甕槌命ufeff・鹿島天足別命ufeffufeff境内社ufeff・八幡神社(祭神:誉田別命)ufeff・日和山天満宮(祭神:菅原道真公)ufeff・稲荷神社(祭神:倉稲魂命)ufeff・日和山愛宕神社(祭神:迦具土神)ufeff・善海田稲荷神社。
あの金メダリストも訪れ涙した場所らしいです。
鳥居越しに海が広がる小高い丘の上の神社です。
また「石巻」の地名発祥の地といえる由緒があります。
「かしまみこじんじゃ」と呼び、延喜式神名帳に登場することから平安時代にまで遡って歴史があるそうです。
祭神の鹿島天足別命が東夷征伐により東北を開拓した際、石巻の沿岸において船の錨が石を巻き上げたことが、石巻と呼ばれる由来とされています。
震災直後に捨てられて居付いたシャム猫の「シャム夫」くんが神社のマスコットキャラクターとなっています。
地域の人に愛されているようです。
御朱印帳にも可愛くシャム夫くんが描かれていてオススメしたい一冊となっています。
また御朱印のほうも独特な美しさがあり、シャム夫くんのスタンプも押してくれます。
海上安全、交通安全にご利益があるとされています。
車のお祓い所がとても広く設置されています。
境内に広い無料駐車スペースがあります。
その他日和山公園の無料駐車場も兼用となっているようです。
休日には石巻の伝統的な餅「二色餅(ふたいろもち)」の出店があります。
90年続く老舗の石巻名物で、本来の杵つき餅の味がするのでオススメです。
石巻駅周辺でも購入可能です。
#letsguide #御朱印 #名所。
石巻駅から南に約1.5kmの日和山山頂に鎮座されている神社。
眼下に旧北上川河口と太平洋を見下ろす。
東日本大震災の際、津波のため、たくさんの方々がここに避難されてきた痛ましい出来事もあった由。
追悼の気持ちも込めて参拝させて頂きました。
御朱印あり。
ただし、午前中で御朱印を終了する日もあるので、早めの時間帯での参拝がお勧め。
石巻の日和山にある神社。
冬季はここに来る道路が坂道で北向きなため凍結してることが多いのでご注意を。
神社自体も悪くありませんが、公園の一部で、かつ東日本大震災の被害地域とその復興状況が一望できる要素が大きい。
被災された地が見渡せます。
ひまわりが綺麗に咲いていました。
震災時に多くの方が避難されたとお話を伺いました。
武神・開拓神・地震鎮めの神である武甕槌命と、武甕槌命の息子である天足別命(あまたりわけのみこと)を祀る神社です。
延喜式内社で、日本三代実録に記載されている『鹿島苗裔神を祀る神社』の一座でもあります。
(神札・御守・御朱印:あり)
石巻を一望できる高台に立つ鹿島系神社。
名前の由来から鹿島大明神(タケミカズチノカミ)の子供を祭る神社でしょうか。
*高台から被災した沿岸部と太平洋を眺めることができます。
生きていることがどれだけ奇跡的なことで、素晴らしいかよくわかりました。
亡くなった方々のご冥福をお祈りします。
石巻市の〔鹿島御児神社〕に芭蕉句碑が建っている。
雲折々人を休る月見かな 以前から傾いていたが、震災の影響か、さらに傾きが大きくなった? 少し離れたところ(日和山公園)に〔芭蕉と曽良の像〕もある。
石巻は震災の5ヶ月前に一度訪問したが、震災の後再度訪問したとき、この神社から何もなくなった町を眺め、そこにあったであろう人たちの生活が思い起され、声は出ず、涙がでるばかりだった。
(奥の細道 ⇒ 住吉公園 袖の渡)
名前 |
鹿島御児神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0225-22-1216 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.2 |
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2024.7に初訪問、石巻を見下ろす高台に位置している。
震災当時を振り返るパネルも設置されており、深く考えさせられる場所でもある。
境内に数台の駐車スペースがあります。
御朱印ももちろんいただけます。