この地で没した曽我丹波守古祐を祀ってあります。
山裾にある神社。
境内は静か、なんだか田舎の神社に来たようである。
この神社で驚くべきは、御祭神が江戸時代に大坂西町奉行だった人である。
この日下村の領主でもあった彼は村人のために善政を布いたという。
律儀な村人は、後世になっても、そのことを忘れなかったのである。
丹波神社と曽我丹波森 丹波神社は、大坂西町奉行で日下村の領主となり、この地で没した曽我丹波守古祐を祀ってあります。
社殿内には、地元の人々が丹波守の徳を慕って。
25回忌の時、墓を建てました。
墓碑の表面には『戌明暦四稔 小林院殿平朝臣古祐廓然是聖居士覚霊 戌仲呂甘一日』、背面には、その業績が記されています。
当初は墓地でしたが、後年その霊位を神として祀り、現在の丹波神社となりました。
曽我丹波守古祐は、寛永11年(1634年)に大坂西町奉行に任じられ、その翌年に河内國河内郡に三千石を知行することとなり、日下村もその支配に入りました。
万治元年(1658年)に没し、その後、子供の権左衛門が後を継ぎ、3年後に没するまでの28年間曽我氏の支配地でした。
丹波守の行った検地は、村人に有利なものでした。
また水が少なく飢饉に悩まされていたので、新しい用水路の整備、樋の伏替、堤の修理などの土木工事を行っています。
これらの費用は領主の負担で行われ、村人には負担をかけませんでした。
領主が変わっても、改修費用は前領主にならうため村人の負担がなく感謝されました。
その後、支配者が変わってから一部負担もありましたが、丹波守は治山治水も面で、土砂留の松等の植林も行いました。
西町奉行としてのこの地で、現在も祀られています。
時期をずらして、こちらに来ました。
初詣時には何かしてそうなくらいの広さはあります。
名前 |
丹波神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
072-984-2306 |
住所 |
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関連サイト |
https://osaka-jinjacho.jp/funai_jinja/dai6shibu/higashiosaka-city/t86.html |
評価 |
4.4 |
河澄家の帰り道に偶然寄ってみました。