暗越奈良街道、唯一の宿場町。
花園ラグビー場の北側の交差点を北東に続く暗越奈良街道は、松原の古い街並みに入ります。
市立英田北小学校の東側をそった沿道は、往時の面影をすっかり失っていますが、江戸時代には大坂と奈良を結ぶ街道筋に唯一置かれた松原宿のあったところです。
大坂~奈良間は、暗峠のある生駒山をはさみ、8里8町の距離で、江戸時代の明暦年間(1655~58)に、大坂町奉行所から松原と隣りあう町水走の間に置くことが正式に命じられたものです。
江戸時代の宿場は、単に旅籠だけでなく旅客あるいは貨物の運送という重要な業務のため、交通機関の馬や運送役の人足等を常備し、幕府役人の直轄の下、地元の村々の負担により運営されていた。
松原宿がここに設けられた理由は、街道の難所暗峠越えのため、あるいは松原宿の西側は、もと吉野川が北上し、川の東側に営まれた松原の地は、宿場とされる以前の古くから、川の水上交通あるいは陸上交通の要所として、重要な地域であったであろう。
暗越奈良街道、唯一の宿場町。
ここで一泊し翌朝、奈良に向かう。
これなら楽に行けそうだ。
今、ここを訪れても全くその跡がない。
残っているのは案内板と道標、道路沿いに建っていた20ばかりの旅籠の名前。
『河内名所図会』にはその賑わいが描かれている。
いまはそれを、未だ残っているこの街道に立ち想像するしかない。
眼前には、優美な生駒山と暗峠が今もはっきりと見える。
山河と道だけは当時と何も変わっていない。
名前 |
松原宿跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
2.9 |
暗越奈良街道。