本来は「いわたじんじゃ」ですが地元の人たちも「いし...
たても雰囲気のいい神社です。
石田神社は氏神様なので、お正月は勿論折に触れてお参りさせて貰ってます、後巽神社と御厨の天神社は時折お参りさせて貰ってます。
評価するなんて本当はおこがましいのでは😅
石田と書いてますが、イワタと読みます。
近くの若江岩田駅の名前にもなってます。
南に若江鏡神社があります。
創社は29代欽明天皇の時代と伝わってるそうです。
延喜式の式内神社だけあって、格があります。
なんでも磐船が埋まってたから、イワタの名前が付いたそうです。
この辺りは物部氏の勢力地だし、物部は磐船伝説を持っているので、何か?関係があるのかもしれないです。
よい神社です。
自転車が違うと今まで目に入らなかったものも見えてくる。
楽しいね。
ここの空気が好きでよく参拝に行きます!御神木も立派です。
本来は「いわたじんじゃ」ですが地元の人たちも「いしだじんじゃ」と間違えた名前で呼ばれています。
古社に事欠かない地域にあるためか、古い由緒ある神社にありながら、非常に地味ですね。
磐船伝説があるので、物部氏にゆかりある神社なのでしょうか?
お焚き上げ持って行った物別に御祈祷してくださいました。
40年くらい前、、小学生時代すぐ近に住んでいて石田神社は遊び場でしたね、、、セミを捕まえたり木登りしたり、、先日近くに住んでいた独居の父が亡くなり、、もう行く事ないんだろうな、、、
御朱印はされていません。
マナーの悪いかたが多いようです。
石田神社と岩船近鉄若江岩田駅の西方、近鉄奈良線の北側に鬱蒼とした木々に囲まれた鎮守があります。
これが石田神社です。
石田と書きますが読みは『いわた』となります。
この神社は、宇宮の前という所に鎮座し、『延喜式神名帳』にのせられる古社として、誉田別命、帯仲彦命、息長帯姫命の三社を祀っていましたが、後になって天照大神と天児屋根命が加わりました。
社伝によると、欽明天皇の時代(6世紀)に、この地の田地の間に岩船があり、三神がその上に現れたことから初めて社壇を築き神を祀ったといわれております。
俗に八幡宮と呼ばれております。
岩田の地がいち早く開墾された土地であることが分かります。
石田神社の北側には、水田が存在していました。
その水田の中に二つの塚があり、東の塚は幸神塚といい、西の塚は無名塚でした。
一説には、その地を開墾した際、船に似た全長約35mの長大な岩石が現れたといわれる不思議な話が伝わっております。
よく間違えられていますが石田神社⛩イシダではなくイワタ神社が正解【延喜式神名帳】 石田神社 三座 河内国 若江郡鎮座 【現社名】石田神社 【住所】大阪府東大阪市岩田町 4-11-13 【祭神】誉田別命 帯仲彦命 息長足姫命(配祀)天照大神 天児屋根命 『神社覈録』祭神詳ならず 『特選神名決めがたし 『大阪府史蹟名勝天然記念物』 五十日足彦命・同比咩神・誉田別尊【例祭】10月15日 例祭 【社格】旧村社 【由緒】当神社の創建は欽明天皇の頃 延喜式小社で弘仁式の時からの官社であった 明治5年岩田八幡宮から現在の社名に変更 昭和9年の室戸台風で社殿が倒壊【鎮座地】移転の記録はない 神社北方の田圃の中にあつた幸神塚と 無名の塚の二塚はいまはない【祭祀対象】 【祭祀】江戸時代は「石田八幡」と称していた 【社殿】本殿流造 祝詞舎・拝殿・神饌所・社務所・手洗所 【境内社】稻荷神社石田神社HPより。
この神社の中を歩いてると、この神社の関係者らしき男性が、私たちの背後からおもむろに、私たちが歩いてきた足跡をホウキで掃いて、砂利に足跡をつけるなと申し付けてきます。
125ccバイクの男性です。
意味がわかりません。
神社で不快な思いをしたのは初めてです。
嫌なら立ち入り禁止にしろ。
砂利をひくな。
この件は積極的に拡散していきます。
石田神社(いしだじんじゃ)は、大阪府東大阪市岩田町にある神社。
参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式神名帳』にある「石田神社三座(河内国・若江郡)」に比定される式内社(小社)。
近代社格では村社。
現在は住宅地になっているが、当社北側に昭和38年(1963年)頃まで直径2メートルたらずの円錐形の二つの小塚が水田の中にあった。
東の塚を「幸神塚」といい、西の塚は「無名の塚」と呼ばれた。
「幸神塚」は賽の神を祀った旧地だとされた。
ここを開拓した往古、船によく似た大きな岩石があり、その長さは東塚と西塚を結ぶほどで、その全長50メートル近くもあったという。
これは古代に、大きな石の船がここで難破した岩船(石船)である、とされ、この二つの塚はその前後のもの、とされた。
当社の社伝によれば、飛鳥時代の第29代欽明天皇(在位:540年-571年)の御代、岩船に御祭神である誉田別命・足仲彦命・息長帯姫命の3神が降臨したという。
そこで奉斎されたのが当社。
中世以降の由緒は不詳。
3神が八幡神であることから、石田八幡宮とも、岩田八幡宮などとも呼ばれたという。
八幡神の三座は中世以降の勧請であり、古代の、『延喜式神名帳』の三座とは違うとの意見もある。
後に、天照大神・天児屋根命を合祀した。
当社の旧別当寺は禅宗黄檗派の善城寺で、当社の北側にあり、江戸時代には村人の尊崇を受けたが、明治初年の神仏分離の際に廃絶した。
この寺に安置されていた室町時代の作とされる不動明王像と、左右の制多迦・矜羯羅童子の二体は、西光寺に移され、現存している。
明治5年(1872年)、現社号に改称した。
昭和7年(1932年)の道路・水路改修の際、橋の下から数体の地蔵と五輪塔が出土し、猫橋地蔵として祀られた。
昭和9年(1934年)の室戸台風では社殿が倒壊した。
例祭は10月15日で、10月中旬に秋祭りがある。
子ども神輿、4本の大ちょうちんによるだんじり宮入りなどが行われる。
境内社に稲荷神社がある。
この神社で目立つのは、巨大な楠だろう。
そのためか境内は森閑としている。
鬱蒼とした木々の間から、木漏れ日が差し、境内はその陰翳が美しい。
江戸期には八幡宮と呼ばれたらしい。
神社の祭神は、応神天皇の母、神功皇后。
多忙な街中に、ポツリと緑の浮島があるようで不思議な感じがする。
【石田神社】(いわたじんじゃ)東大阪市岩田町延喜式神名帳に、『河内国磐田郡 石田神社三座』とある式内社。
石田と書いて、地名と同じくイワタと読む。
古く、この辺りは古大和川流域の低湿地であり、その微高地に創建された古社であろうという。
由緒略記によれば、創建は 「欽明天皇御宇(537--71)、此の田圃の中に岩船ありて、其の上に三神現じ給ひしより初めて社壇を築きて奉祀した」 のが始まりという。
ここで顕現した三神が、応神天皇以下の三神・所謂八幡大神とされ、江戸時代の古書・河内志(1733)・河内名所図会(1801)に、「石田神社、岩田村にあり。
今八幡宮と称す」とあるように、古くは八幡宮(石田八幡宮とも)と呼ばれていた。
所在地:大阪府東大阪市岩田町4丁目11-13
名前 |
石田神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
072-964-6789 |
住所 |
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関連サイト |
https://osaka-jinjacho.jp/funai_jinja/dai6shibu/higashiosaka-city/t73.html |
評価 |
3.9 |
近場だけど、なんとなく古そうな感じが良いです。