若江の戦いで木村重成軍に対して必死の戦いを挑んだが...
若江墓地と並んで大きな墓碑の立つ山口重信の墓が存在します。
墓は、面積約60㎡の四角形で中央に2段の台石、亀趺の上に高さ約2.5mの和泉砂岩製の墓碑をのせるものです。
山口重信は、元和元年(1615年)の大坂夏の陣で、豊臣方の武将・木村長門守重成とこの地で戦い、馬上にて相打ちとなり戦死した徳川方井伊軍の武将です。
26歳での討ち死にでした。
弟の山口但馬守多々良弘隆は、その霊を弔うため、正保4年(1647年)に建てたのがこの墓になります。
さすが大阪、木村重成の墓と、扱いが違い過ぎる。
大坂夏の陣、若江の戦いで木村重成軍に対して必死の戦いを挑んだが戦死。
お墓は第二寝屋川を挟んで真向かいにある。
ここも重成と同様、献花が絶えた事がない。
戦う目的は違ったが、二人共わずか20代の若者だった。
ただ「河内名所図会」をみると山口の墓はでかいが、お参りする人の視線は皆、木村重成の墓を見つめている。
やはり大阪の人は敵側の井伊家家臣、山口重信には興味なく、果敢、勇気を持って忠誠を尽くした重成に対して人気があったのは当然といえよう。
名前 |
山口重信の墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
4.1 |
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墓のない人生は儚い。