地図を見ててたまたま発見。
河内領主初代久貝因幡守正俊公墓所 / / .
地図を見ててたまたま発見。
大阪初代の町奉行さま。
地元のJR学研都市線の長尾駅の駅前にある正俊寺に御墓があると思ってたけど、こんなところにあったんですね。
初代大阪町奉行を務めた旗本久貝(クガイ)因幡守正俊(マサトシ)は、交野郡内に知行地を与えられ、荒廃していた長尾村の再開発に着手しましたが、志半ばで病没しました。
慶安2年(1649)息男正世(マサヨ)は亡父の追善供養のため、田口村から善福寺を当地に移し、当地に久貝家菩提寺を建立し、同家知行地となった讃良郡中野村(現四条畷市中野)正法寺の釈迦如来像と石造十三塔を移しました。
寺号は同家を創開した父親の名を冠して、長尾山正俊寺と命名しました。
本堂左手にある花崗岩の十三塔は、高さ4.3mで、嘉暦(カリャク)2年(1327)の紀年銘が刻まれていました。
上部宗輪(ソウリン)の宝珠(ホウジュ)・請花(ウケバナ)を失っているものの、鎌倉時代の造立当初の姿をよく留めており、昭和45年(1970)に大阪府有形文化財に指定されました。
場内には、山門前に久貝家墓所、住職墓域に細谷善兵衛の墓石があります。
細谷は福岡村(長尾村の前身)の再開発に尽力し、久貝家長尾陣屋の代官を務めました。
河内(大阪)、山城(京都)、大和(奈良)との境にあり、神のいます山として古代から人々の崇敬を集めた神奈備(カンナビ)の峰から、ゆるやかな起伏をみせて淀川へとひろがる交野ケ原。
その麓の浄域に、長尾山と号し、と号し、古刹の法灯を伝える正俊寺(ショウシュンジ)がある。
名前 |
河内領主初代久貝因幡守正俊公墓所 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.4 |
最近(6月15日現在)下草を刈って頂けたようで、今ならお参りに行けますよ。
雨降り後はぬかるみにご注意ください。