少し寂しいけど、地元民にはお世話になってる神社と思...
静かな所です。
京阪バスで招提南町で降りて少し歩くと着きます。
落ち着く神社です。
地元の神社。
コロナなので、おみくじが無かったです。
今日は、神様がお留守だったのか、たましいが引っ張られる事はなかったですが、そこにある時はひっぱられます、ただお稲荷さんの場所では、呼ばれた感じが少しありました(__)✨この前もありましたが、今日も山田神社では御堂の方にむかい、結ぶ引っ張られた形があったので、本社本殿と同じく強いよばれをもたらしました心ある方々の文か、神様がお越しだった今日がありました(__)✨川畑奈美織姫結天上七夕うまれ08014257574(長女)(独身)(招提)枚方市交北3-1-B6-210(特殊最上階5階)いちなす、満場一致、命(めい)成しえるうまれ(u003dmilion God)
ダンジリが八台あるようです。
実家の近所にある由緒正しい神社。
御朱印はありませんでした。
静かで落ち着いた神社です。
正月に行ったときは焚き火をしていてめちゃくちゃ暑かったです。
焚き火てあんなに暑くなるんですね。
漫画などで焚き火炊いて横で寝てる意味がわかりました笑。
広い境内に駐車場も有り、社殿の後背には森も控えた大きな神社です。
特徴的なのは境内に山車を入れるような倉庫がいくつもあることです。
普通山車を祭りで曳くにしても、車庫は町会単位であるのが普通と思っていました。
こんなふうに一つ神社に集まっているのは初めて見ました。
残念なのは境内に木が少ないことです(倉庫のせいか)。
せっかくのべンチも木陰が無いので、今日のような猛暑日では座って休む気になれません。
日置天神社には、惟喬親王(844~897)が交野ケ原で遊猟したとき、愛鷹のの姿が見えなくなったので、日没を惜しんで「日を止め置かせ給え」と天神に祈願したという伝承がある。
中世におけるこの付近は、東高野街道筋に発達した集落(日置郷)として賑わい、社寺が甍をきそっていたという。
南北朝期の動乱の際したびたび戦場に見舞われ、14世紀中頃には民家・堂塔ともに灰燼に帰したと伝えられる。
その後16世紀中頃、真宗8世蓮如の6男蓮淳を招いて当地を寺内村(招堤寺内村)として再開発したおり、当社を寺内鎮守として再建したと伝える。
②.祭神 主祭神の天御中主尊(アメノミナカヌシノミコト)は、古事記冒頭の天地開闢のとき、混沌の中から最初に成り出た造化三神の中心神だが、冒頭に登場するだけで以後は身を隠し、古社の中でこの神を祀る事例もないという不思議な神。
鎌倉時代以降になると世界を創造し支配する最高神という神格が与えられ、伊勢外宮の主神・トヨウケ大神と同体とされたり、神仏習合の進展によって仏教の妙見菩薩や道教の鎮宅霊符神と同体とされるなど、いろんな神格が付加されている。
そのアメノミナカヌシが当社に祀られた由緒など不明。
惟喬親王が日没を留めようと祈った天神(アマツカミ)にアメノミナカヌシを当てた、ということであろう。
併祭神の菅原道真は、慶長末年頃(1615頃)に合祀されたというが、その由緒は不明。
今、社殿前に道真に関係の深い牛の臥像があることからみると、天神(テンジン)=道真を祀るとの認識が強いらしい。
③.三社神社--祭神:天照大神・八幡大神・春日大神 三社神社の創建由緒など不明だが、アマテラス・ハチマン・カスガの三神を祀ることからみて、中世から近世にかけて流行した“三社託宣信仰”に関わるものかもしれない。
・天照大神:謀計は眼前の利潤たりといえども、必ず神明の罰に当たる。
正直は一旦の依怙(エコ)に非ずといえども、ついには日月の憐れみを蒙る。
・八幡大神:鉄丸を食すといえども、心汚れたる人の物を受けず、銅焔(ドウエン)に座すと いえども、心穢れたる人の処に至らず。
・春日大神:千日の注連(シメ)を曳くといえども、邪見の家には到らず、重服深厚たりといえども、慈悲の室(イエ)におもむくべし。
三社託宣とは、天照皇大神宮・八幡大菩薩・春日大明神それぞれの“お告げ”(託宣)および三神の神像や託宣の文章を記した掛物を指し、これを信仰の対象とするのが託宣信仰で、室町中期頃からはじまったという。
三神の託宣とは、“正直”・“清浄”、“慈悲”(春日神)といった道徳的徳目で、これを記した掛軸や刷り物をもって庶民教化の手段としたという。
代表的な託宣として次のようなものがある。
水量のすごいプッシュ式蛇口のミニ手水がありましたwお稲荷さん、あります。
名前 |
日置天神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
072-857-2429 |
住所 |
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関連サイト |
http://osakadai3shibu.kilo.jp/jinja/hirakata/jinja/hiokiten.html |
評価 |
3.9 |
おみくじやお酒の振る舞いがなくなってるから、少し寂しいけど、地元民にはお世話になってる神社と思います。
私は約40年毎年参拝してます。