今城塚と深い関係があるようです。
周りの木は殆ど桜🌸です。
その時期は綺麗です。
この古墳は高槻市にある今城塚古墳の二分の一の相似形で、今城塚と深い関係があるようです。
今城塚に眠るのは継体天皇とされます。
ということで、この古墳の主は継体政権を支えた重要人物だったと推測できます。
六世紀前半の継体大王の登場という政治変動を背景に、やはり復活した愛知県尾張の断夫山古墳をはじめ、巨大な前方後円墳が六世紀中頃、各地に築かれましたが、これらは継体大王を支えた有力首長の墓でしょう。
また、新たに六世紀になって盟主墳を築き始める地域もあります。
それは京都市嵯峨野や長野県天竜川流域です。
これらの地域ではそれまで開発が遅れていて、大きな古墳は築かれませんでしたが、六世紀に入って渡来系集団が移住してきて新たに田作の経営が始まりました。
住人の使った土器に朝鮮系のものが多く含まれるのでそれとわかります。
長野県の天竜川流域や、群馬県の白井・吹屋遺跡では畑の外に牧まで営んで馬を飼っていました。
大阪府寝屋川の讃良郡でも馬を飼っており、出土した馬具から、戦闘用の馬を育てたことがわかります。
牧はもともと日本にはなく朝鮮半島で行われていましたから、このことからも渡来系の人がここに移住したことがわかります。
文化的に高い渡来系集団が政治的に力をもち、継体を支える勢力になり盟主墳を築くようになったのでしょう。
池を回って奥に行っても行き止まり、とりあえず聖徳太子より一世代二世代くらい前の時代の古墳のようだ。
ここはなにもない、意味ない。
古い看板があるだけで何もありませんでした。
荘厳な竹やぶをフェンスの先に見ることができます。
名前 |
二子塚古墳公園 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0774-22-3141 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.1 |
桜の蕾はまだまだ沢山ありました。