古の平安京に想いを寄せるいい場所だと思う。
先ずは、平安京の表玄関となる羅城門跡を訪問して、再建されなかった門を偲んでパシャり~🤳。
そして、東寺があるなら西寺も…と思っていた西寺跡となる唐橋西寺公園も訪問~(^^)。
平安京の表門だった羅城門は、幅約80m・高さ約24mを誇る大きな門だったとされていますが、いまだに遺構は確認されていません。
延歴13年(794年)の平安京建設から200年後に起きた暴風雨により、倒壊して以来再建されず、荒れ果てたその門には鬼が住むと云われ、渡辺綱の鬼退治伝説が残っていますが、なんといっても黒澤明の名作「羅生門」によりその名が知られることになりました。
現在は児童公園に石碑が建っています。
碑が公園内にぽつんと建ってます。
ここがあの羅生門かと思うと何とも寂しい感じですが、歴史に思いを馳せるしかないかな。
すぐ近くの弘法大師が襲われた場所も併せて観ると歴史感じます。
1/08/2023歴史に名高い平安京の羅城門跡を訪ねた。
すべり台のある小さな公園に2・5メートルほどの石碑があるだけで、当時を偲ぶ光景は何もなかった。
羅城門は芥川龍之介が「今昔物語」にある、門の楼上の暗がりで死んだ若い女の長い髪を老女が集める話から想像力を広げた「羅生門」という短編、さらにはこれを映画化した黒沢作品で有名。
だから門の痕跡は全くなくとも、何やら妖しい心持ちがする。
黒澤明監督の映画や芥川龍之介の小説で有名なためか、いまでも羅城門(羅生門)を訪ねてやってくる観光客の方もいるようです。
そして、児童公園の滑り台の前に石碑が1本立つだけの光景を見て、啞然とするのではないでしょうか。
それもそのはず、平安京の南の要であった羅城門は、平安中期に倒壊した後、顧みられることなく忘れ去られ、今周辺を発掘調査しても、遺構らしきものは何一つ見つからないのです。
現在の石碑も、当時の大路の位置から推定される場所に立てたものにすぎません(その後、京都市によって説明板が追加されました)。
平安遷都1200年の際に、羅城門の復元も一部で検討されたと聞きます。
しかし、平城宮跡のようにだだっ広い敷地に宮城を再現するのとはわけが違います。
1200年前に建立された羅城門は、200年ももたずに姿を消し、その後1000年以上、京都の人はその存在すら忘れて生活してきたのです。
九条通沿いの旧千本通交差点を東へ20mほどの北側にあります。
かつての平安京のメインストリートだった朱雀大路の南端に位置し、都の表玄関にあたる大門跡です。
小さな公園内に石碑が建てられており、近所の小さな子どもたちの遊び場になっています。
近所を通りかかった時にふらっと寄るのはいいと思いますが、目的地として訪れるほどの場所ではありません。
あの『羅生門』のあとです。
いまは昔です。
羅城とは古代都市を取り囲んだ城壁のことで、羅城門はその城壁の門のことです。
芥川龍之介の小説は『羅生門』ですが、これは芥川の改変ではありません。
古来、「羅城門」の読み方は、「らじょうもん」以外に「らせいもん」「らしょうもん」等がありました。
中世の能楽師、観世信光が「羅生門」という謡曲を作ったことから、「羅生門」という表記も一般化していたと思われます。
なお、平安時代に羅城門が荒れ果てていたというのは本当です。
藤原道長は、寺の造営のために、羅城門の礎石を持ち去ったと記録されています。
また、羅城門には鬼が出ると言われており、酒呑童子を退治した源頼光(みなもとのよりみつ)の配下、渡辺綱(わたなべのつな)が羅城門の下を通ったとき、鬼の手が伸びてきたという逸話が伝えられています。
このように考えれば、ここで夜を明かそうとしていた『羅生門』の下人は、とんでもない胆力の持ち主ということになりますね。
今は小さい公園。
あれれ的な。
時間有れば、丸太町病院西側の図書館裏の「アスニー」のジオラマで想像してね。
京都駅の前に有る「高速バスキップ売場」のすぐそばに「模型」があったり。
迫力が足りないのね。
この以前のコメントに最近評価されたので少し追伸します。
羅城門跡の「唐橋花園公園」を抜けて左側ヘ北に上がると「唐橋西寺公園」にココが西寺の跡。
昔の「朱雀通リ」はJRの線路で遮断されているので右側方向の東寺の東側北に「大宮通リ」を上がるか西寺跡左側上の「御前通リ」を上がるか(どちらも地下歩道あり)して七条通リヘ。
ココの「梅小路公園」のJRの駅から北ヘJRの高架線路が「円町」付近まで伸びて東側が「千本通リ」で昔の「朱雀通リ」。
丸太町通リに交差する辺が「大極殿」で「鵺伝説」が有りました。
御池通リの辺りに「朱雀門」は有ったのか?五条通りの南側の「島原」付近に「東市.西市」「迎賓館の東コウロ館」「朱雀通リ跡」等の石碑有りました。
時間と興味が有れば少し楽しめるかも?。
羅生門跡地(らじょうもん) 星1外観:小さな児童公園(唐橋羅生門公園)の中に石碑と案内板たっているだけです。
蘇るスマホで再現羅生門AR羅城門www.ar-rajomon.jpをみるとよいかも概略:平安京のメインストリート朱雀大路の南端に設けられた大門で京都の内外を区分けした。
816年と980年に暴風で倒壊、その後、再建はされていない。
発掘作業で遺構は見つかっていない東寺の木造毘沙門天や鬼瓦はこの門にあったと伝えられている。
今は石碑しか無いので見過ごしがちですが、東寺と西寺(これも石碑だけ)の間に平安京に通じる巨大な羅城門があったんだなぁ、と平安のロマンを感じます。
羅城門の模型は京都駅を出た所にあるので是非とも機会あればご覧いただければです。
有名な史跡ですが、石碑がある以外はどこにでもありそうな小さな公園・・・いや、これだけ小さな公園はなかなかない。
石碑のすぐ側に変哲のない滑り台やシーソーがあるのが何ともおかしい。
跡形もありません。
石碑が公園内に寂しくあります。
羅城門は平安京の入口の門。
7階建てのビルに相当する高さだった。
京都駅北口に1/10模型があります。
この門を境に内と外が分けられます。
人間だけでなく鬼も異界からやってきて、いつしかこの羅城門は鬼の住処になっていたという言い伝えも。
鬼を接待する大祓の儀式を行っていたそうです。
公園の中にありました 京都は歴史が長いので色々ありますよね。
芥川龍之介の小説で有名ですね。
今は小さな石碑が有るだけですが、京都の歴史を考える上で 重要な場所です。
東寺に行った際に地図で見つけて立ち寄ることにしました。
小さな児童公園の中に石碑が立っているだけ。
芥川龍之介の「羅生門」を想像して行っただけに、拍子抜けするとともに、改めて芥川の想像力の凄さを感じました。
羅城門はご存知の通り、平安京の朱雀大路の南の端に建てられた巨大な門です。
現在は九条通りの七本松通りと新千本通りの間に矢田地蔵尊が安置されていますが、その裏側の小さな公園の中に「羅城門跡」の石碑と案内板があるのみです。
1200年以上前に、この場所に羅城門があり、門をくぐると朱雀大路がまっすぐ北に伸び、内裏まで続いていました。
想像すると平安京は巨大な都市です。
黒澤映画の「羅生門」で見た盗人の物語や、鬼が棲んでいたと言われる「羅城門」とは、全く結びつかない公園です。
平成29年8月16日 参拝 (トルネード)
古の平安京に想いを寄せるいい場所だと思う。
公園になっていて碑があるだけですが,歴史を感じます。
八重桜が綺麗でした。
京都観光のなかで、ここは外せないですよ。
是非ともお立ち寄りを。
名前 |
羅城門遺址 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト |
https://www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/fm/nenpyou/htmlsheet/toshi05.html |
評価 |
3.5 |
住宅と道路に挟まれた小さな公園に石碑が残るのみですが、ここにあの有名な羅城門があったと想像するとロマンを感じますね。