名前 |
正行寺 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0774-32-8734 |
住所 |
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評価 |
3.0 |
お寺の名前の正行寺は、鑑(かん・いましめ)のために公(楠正行)の諱(いみな・死ぬ前の生前の名前)をもって“正行寺”と改めたという。
❶【参考 宇治誌 宇治郷名勝誌 1974年】正行寺 (明治30年の書にあるこのお寺の紹介文となる)正平年間の創立。
[寺の言い伝え]南朝正平4年(1349年)1月5日 河内国四条畷(しじょうなわて・地名)において、楠木正行(まさつら・正成の長男)、楠木正時(まさとき・正成の次男)一族、和田高家(たかいえ)、和田源秀(げんしゅう)、安見正寛らと共に討ち死にするに臨み(のぞみ)、随臣の安間了意(了願の子)を呼び遺命(死後のために残した命令)をつたえたという。
“我が首を敵に取られることがないようにと。
了意そこで公等の首級をたずさえて、吉野に逃れんとするが、足利氏の兵士が道をさえぎり、吉野へ逃れる事はかなわなかった。
のがれのがれて遂に山城国木幡に到着し、城主_清水勝家の旧好あるのを頼り、共に話し合い、その庄内にある六地蔵に公等の首級を殮葬(れんそう・棺に入れて葬ることの意)した、という。
その後正平10年(1355年)11月 後村上天皇 その忠死を追悼して1宇の小堂を其の墳墓の上に建立したという。
安間了意、及び父の了願等をして、この寺に住みその冥福を弔ししたという。
これによって、父子共に本願寺覚如上人の従弟(じゅうてい)となり、寺を “了願寺” と号したという。
その後天授6年(1380年)9月26日 楠木正儀(まさのり・正成の3男)赤坂城において討ち死にするや、又その家臣に遺命(いめい)してその首級をここに、殮葬(れんそう)した、という。
元中9年(1392年)南北朝和議始めて成るに及びて、後、鑑(かん・いましめのために)のために公の諱(いみな・死んだ人の生前の名前)をもって“正行寺”と改めたという。
[鎮座地] 大字_六地蔵[號] 密雲山[宗教] 眞宗 本派本願寺 末[開基] 安間了願[境内地面積] 103坪。