見る度に、整備されて行くのが嬉しい。
御祭神:天忍穂耳尊/天照大御神/天津日子根命社伝によれば大化元年(645)、第35代・皇極天皇が霊夢で「吾れ天神故に下土に神陵なし吾が霊を祭祀し給へ」とのお告げを受け、中臣鎌足に命じ木幡荘に社殿を造営させたのが起源と伝えられています。
現在の鎮座地は応保年間(1161-1163)に柳山から分祀されたと言われています。
また、明治41年(1908)に旧河原村の田中神社を合祀したため、田中神社の御祭神であった天照大御神、天津日子根命も当社の御祭神となりました。
拝:2021/11/13
延喜式神名帳の山城國宇治郡の項に記載のある名神大社の論社の一社。
JRの木幡駅からすぐのところに鎮座。
この付近には大小300以上の古墳や藤原氏等の陵墓があるが、宮内庁によって、宇治陵は37号まで番号がつけられた。
境内にはそのうちの36号がある。
御祭神は正哉吾末勝々速日天忍穂耳尊、天照大御神、天津日子根命となっている。
創建時期は大化元年(645)という。
宇治市に現存する許波多神社は2ヶ所あり、その一つとして古墳と共に鎮座されてます。
東側山手の黄檗トンネル近くの元社 (黄檗公園辺り)は、旧日本軍による弾薬庫設営のため移築されました。
かつて、その弾薬庫への移送貨物鉄道の軌道が神社裏にありました。
今はレールを撤去されてますが、盛り土した軌道堤が木幡北池の方まで残って現在は遊歩道u0026 公園になっています。
交差する道路を越えるための高架橋脚跡が何箇所か残っていますが、少し不思議な存在なので御存知ない方も多い様です。
(本殿脇の階段を登ると解ります)戦時期宇治市は軍事関係の施設が多く、終戦間際に空襲を受けて、大きな戦災を経験しました。
市内には現在、自衛隊の駐屯地が2ヶ所あります。
JRと京阪電車が並走していて、何かと混雑する旧道沿いに狭い入口の参道があります。
由緒正しく、延喜式内宮の社格で、「記紀」にも面白い物語が記載されてる莵道に鎮座される神様です。
勝ち運をもたらす神様なので勝負前に御参拝を。
小さな神社ですが、非常に霊験あらかたなところだと思います。
御神木も立派です。
社務所は基本的に毎月1日と15日の午前中しか開いていないので、御朱印などをご希望の方は気をつけてください。
途中まで、車が入れるので有難いです。
お礼にうかがえる限り、通います‼️見守って頂いてありがとうございます~❣️
宇治の小社に、背面から入るのがお気に入り神木を眼前に一礼。
まだ月次祭は行っていないのですが、朝早くから境内が綺麗に掃除されていて、住宅地なのに御神木を含む木々も豊かで、落ち着いた神社でした。
許波多だから木幡となるの?
11月に祭りがあり参道沿いに出店が軒を連ねます。
参拝者も多く賑やかです。
次は祭りの時に出掛けたいと思います。
結構神様の位が良いらしい。
それだけに地元民は初詣はここになる…分割する前は大きな神社だったようだ。
火薬庫を造る為に移されて別れたようだが…何で別れたんやろ?というか黄檗公園?からの大神社、京大前、たま木亭駐車場までの大神社がなぜこうなった、みたいに思う。
宇治陵36はこの神社の境内にありました。
バナナが実を付けています。
宇治名木百選のヤブツバキが変わりました。
立派な方に替えて頂けました。
神社として、地元の初詣の場所には、最適です。
幼い日から半世紀以上親しんだ鎮守さん杜が、見る度に、整備されて行くのが嬉しい。
長い参道の先に鎮座する。
式内名神大社です。
五ヶ庄にも同じ名前のお社が有ります。
JR奈良線の木幡駅の西側の緑道沿いから、お社の裏手からも行けます。
正面はぐるっとお社を半周すると、一の鳥居が有ります。
節分でしたので、お神酒も用意されており頂きました。
神殿はしっかりフェンスで囲まれており、少し趣にかけた感じです。
隠元橋近くの同名の許波多神社が朱を基調とした華やかな雰囲気なのに比べ、こちらの許波多神社は黒をベースにしたシックな感じです。
二つの許波多神社を連ちゃんで回るとおもしろいです。
道に迷わず行けば自転車で10分弱の距離です。
名前 |
許波多神社 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
0774-31-5557 |
住所 |
|
評価 |
3.8 |
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