改札から地上に出ると碑が出てます。
烏丸御池遺跡・平安京跡 / / / .
烏丸御池遺跡は,烏丸御池附近を中心とした,南北約600メートル・東西約800メートルという広い範囲にわたって,縄文時代晩期から古墳時代にいとなまれた集落の跡。
発掘調査によって弥生時代の住居跡や古墳時代の遺物などが見つかっている。
ここから約700メートル北に広がる烏丸丸太町遺跡とともに,平安遷都以前からいとなまれていた集落遺跡として知られている。
平安京は,桓武天皇が延暦13(794)年に長岡京から遷都したもので,跡地は現在の京都市街地に重なっており,中京区壬生附近を中心とした,南北約5.2キロメートル・東西約4.5キロメートルの広さにわたっている。
そして現在の御池通は,平安京の二条大路と三条大路の間を通っていた三条坊門小路にほぼ相当する。
この石標は,この附近が烏丸御池遺跡であり,平安京の三条坊門小路が通っていた地でもあることを示している。
(京都市)建立年 2000年建立者 京都市寸 法 高101×幅105×奥行15cm碑 文[西]烏丸御池遺跡・平安京跡この交差点付近は、縄文晩期~古墳時代の土器が多数出土することから、有史以前より集落が営まれていたことが推定され、地名をとって烏丸御池遺跡と呼んでいる。
この碑が建つ地点は、平安京では左京三条三坊十四町と十五町の間の三条坊門小路にあたり、付近は当時の一等地であった。
中でも交差点北西角の地には、後鳥羽上皇の押小路殿に始まる著名な園地があり、そのため三条坊門泉殿などの別名で呼ばれていた。
今、ここを東西に走る御池通は、神泉苑の前を通ることに因むというのが通説だが、『坊目誌』ではこの泉殿の園地に由来するという説が掲げられている。
その後も付近は高級住宅街として、足利一門の邸宅が存在したが、戦国時代には、この辺りにも砦や城が幾つも構えられ、泉殿の跡には織田信長の宿館が作られた。
これらは本能寺の変の際にもその舞台の一つとなったと伝える。
江戸時代になると、金座・銀座などが集中して金融街へと変貌し、その賑わいは、現在でも近代建築の多く残る三条通や烏丸通のオフィスビル群に見ることができる。
Karasuma Oike site / Heiankyo siteThe area around this intersection is an archaeological named Karasuma OikeIseki. Many earthenwares dating from final phase of Jomon period to Kofun period(B.C.1000-A.D.600)are found here. In Heian period(A.D.794-1185)this area was a residential area for the aristocrat. Retired Emperor Gotoba had a mansion caiied Oshikoji-dono with a famous garden and a pond. This area continued to be prestigious residential area during the following eras and became a center of financial business in Edo period(A.D.1600-1868). The prosperoty and butle of the area is seen along the Sanjo and Karasuma streets where modern architecture of Meiji period(A.D.1868-1912)still remain.CN5周年記念京都烏丸ライオンズクラブ寄贈2000.11.22京都市。
とくに何かがあるわけでなく、石碑があるだけ。
しかしその碑文を読むと、なんと平安遷都の遥か以前からこの周辺には集落が営まれ、縄文時代晩期から古墳時代までの遺物が多数発見されているらしい。
そして平安京がやって来てからは都のど真ん中、さまざまな歴史の舞台となった場所のようだ。
烏丸御池遺跡·平安京跡を訪問~👣(^^)。
烏丸御池遺跡とは?と説明分を読むと、縄文~古墳時代の土器が多数出土したとのことでびっくり~😲。
更に、平安時代には一等高級住宅地であったことや、後鳥羽上皇御殿や、織田信長宿館があったとのことでまたまたびっくり~😲。
大きな交差点、地下鉄から出たところに人があり、平安京の跡って書いてあるけど、よくわからないので調べました。
烏丸御池遺跡は,烏丸御池附近を中心とした,南北約600メートル・東西約800メートルという広い範囲にわたって,縄文時代晩期から古墳時代にいとなまれた集落の跡。
発掘調査によって弥生時代の住居跡や古墳時代の遺物などが見つかっている。
ここから約700メートル北に広がる烏丸丸太町遺跡とともに,平安遷都以前からいとなまれていた集落遺跡として知られている。
平安京は,桓武天皇が延暦13(794)年に長岡京から遷都したもので,跡地は現在の京都市街地に重なっており,中京区壬生附近を中心とした,南北約5.2キロメートル・東西約4.5キロメートルの広さにわたっている。
そして現在の御池通は,平安京の二条大路と三条大路の間を通っていた三条坊門小路にほぼ相当する。
この石標は,この附近が烏丸御池遺跡であり,平安京の三条坊門小路が通っていた地でもあることを示している。
所在地t中京区烏丸通御池東北角位置座標t北緯35度00分39.3秒/東経135度45分36.0秒(世界測地系)建立年t2000年建立者t京都市寸 法t高101×幅105×奥行15cm碑 文[西]烏丸御池遺跡・平安京跡Karasuma Oike site / Heiankyo siteこの交差点付近は、縄文晩期~古墳時代の土器が多数出土することから、有史以前より集落が営まれていたことが推定され、地名をとって烏丸御池遺跡と呼んでいる。
この碑が建つ地点は、平安京では左京三条三坊十四町と十五町の間の三条坊門小路にあたり、付近は当時の一等地であった。
中でも交差点北西角の地には、後鳥羽上皇の押小路殿に始まる著名な園地があり、そのため三条坊門泉殿などの別。
大きな交差点、地下鉄から出たところに人があり、平安京の跡って書いてあるけど、よくわからないので調べました。
烏丸御池遺跡は,烏丸御池附近を中心とした,南北約600メートル・東西約800メートルという広い範囲にわたって,縄文時代晩期から古墳時代にいとなまれた集落の跡。
発掘調査によって弥生時代の住居跡や古墳時代の遺物などが見つかっている。
ここから約700メートル北に広がる烏丸丸太町遺跡とともに,平安遷都以前からいとなまれていた集落遺跡として知られている。
平安京は,桓武天皇が延暦13(794)年に長岡京から遷都したもので,跡地は現在の京都市街地に重なっており,中京区壬生附近を中心とした,南北約5.2キロメートル・東西約4.5キロメートルの広さにわたっている。
そして現在の御池通は,平安京の二条大路と三条大路の間を通っていた三条坊門小路にほぼ相当する。
この石標は,この附近が烏丸御池遺跡であり,平安京の三条坊門小路が通っていた地でもあることを示している。
所在地t中京区烏丸通御池東北角位置座標t北緯35度00分39.3秒/東経135度45分36.0秒(世界測地系)建立年t2000年建立者t京都市寸 法t高101×幅105×奥行15cm碑 文t[西]烏丸御池遺跡・平安京跡Karasuma Oike site / Heiankyo site この交差点付近は、縄文晩期~古墳時代の土器が多数出土することから、有史以前より集落が営まれていたことが推定され、地名をとって烏丸御池遺跡と呼んでいる。
この碑が建つ地点は、平安京では左京三条三坊十四町と十五町の間の三条坊門小路にあたり、付近は当時の一等地であった。
中でも交差点北西角の地には、後鳥羽上皇の押小路殿に始まる著名な園地があり、そのため三条坊門泉殿などの別。
名前 |
烏丸御池遺跡・平安京跡 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
|
関連サイト |
https://www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/fm/ishibumi/html/na131.html |
評価 |
4.1 |
平安京の北方中央には、大内(だいだい)裏(り)とも呼ばれる平安宮があり、天皇の住まいである内(だい)裏(り)や、現在の国会議事堂に相当する朝(ちょう)堂院(どういん)のほか、饗(きょう)宴(えん)場である豊(ぶ)楽院(らくいん)や二官八省(神(じん)祇(ぎ)官・太(だい)政(じょう)官・中(なか)務(つかさ)省・式(しき)部(ぶ)省・治部(じぶ)省・民(みん)部(ぶ)省・兵(ひょう)部(ぶ)省・刑(ぎょう)部(ぶ)省・大蔵(おおくら)省・宮(く)内(ない)省)など、国家の重要な政治機構が集中した場所であった。
その規模は、東西約1.14km、南北約1.35kmで、北は現在の一条通(一条大路)、南は二条通(二条大路)、東は大宮通(大宮大路)、西は御前通(西大宮大路)となる。
平安宮の中央に位置する朝堂院は、八(はっ)省(しょう)院とも呼ばれ、その正殿が大極殿(だいごくでん)で、屋根は美しい緑(りょく)釉(ゆう)瓦(がわら)で縁取りされていた。
ここでは天皇の即(そく)位(い)式(しき)や、正月に天皇が出御して百官と共に祝う朝(ちょう)賀(が)の儀式、外国使節の謁見(えっけん)など、国家の重要な行事が行なわれた。