名前 |
玉櫛荘と福万寺遺跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
玉櫛荘と福万寺遺跡福万寺、上之島一帯は条里割がよく残り、その境界は、高安郡条里と河内郡条里の境に位置しています。
この付近は、玉櫛荘と呼ばれた摂関家の荘園跡です。
その名称は、平安時代の藤原實資の日記である小右記に初めてみられます。
鎌倉時代の藤原兼仲の日記である勧仲記(かんちゅうき)には、ここに住んでいた武士たちが、本所や周辺の寺社と対立するようになったことが記されています。
昭和57年、上之島小学校の建設にあたり発掘調査を実施したところ、鎌倉時代の武士の屋敷跡や道路などの遺構が検出され、中国製磁器(じき)や鏃、刀、宋銭、硯(すずり)などが出土しました。
出典『史跡の道・説明石板』上ノ島小学校の方にも確認しましたが、この地に今はもう説明石板はありません。
来ても、蚊に刺されつつ、ただ周辺の田畑を眺めるだけになるでしょう。