説明書と東屋、剣塚の石碑あり。
大和柳生古城跡(柳生の里) / / / .
一刀石に行って写真を撮影して帰る方が多いのですが、すぐ手前には「天乃石立神社(あまのいわたてじんじゃ)」があり、神秘的なパワースポットなのでぜひご参拝ください。
写真が天乃石立神社(写真左奥を進むと一刀石)。
“自然は神なり”という、原始的な神道(古神道)の姿が見られ、一種の霊性信仰(アニミズム)が感じられます。
「天乃石立神社」は、本殿といった建物がありません。
「磐座(いわくら)」と呼ばれる巨大な岩石が「ご神体」となっている神社。
かつては能舞台がありましたが、現在は柳生八坂神社に移されています。
伝説では、神代の時代に、天上界でもっとも腕の力が強い天手力男命(あまのたぢからおのみこと)が高天原で天岩戸(あめのいわと)を思いっきり引き明け、洞窟をふさいでいた扉石が勢いあまってこの地まで飛んできて、3つの岩(前伏磐、前立磐、後立磐)に割れたそう。
「前立磐(左)」と「後立磐」と呼ばれる岩。
斜めになりながら絶妙なバランスを保ち、一刀石のように真っ二つに切り裂かれたように見えます。
一刀石へ行かれたなら、同じエリア内に「芳徳禅寺(ほうとくぜんじ)」があるので、こちらもぜひ参拝しましょう。
小高い丘に建つ寺院は、桜や紅葉が美しい名所です。
大和柳生藩の初代藩主で、徳川将軍家の兵法指南役、柳生宗矩(やぎゅうむねのり)が、父親の柳生宗厳を供養するために創建したのが芳徳禅寺。
宗矩と親交のあった沢庵和尚が柳生城跡に開山しました。
本堂(写真)には、宗矩像や、沢庵和尚の像が安置。
本堂横の資料館では、柳生家についての資料が展示されています。
写真左奥を進むと、柳生一族の墓所も。
新緑のころも美しい。
柳生一族の墓所。
芳徳禅寺は、柳生家の菩提寺であり、80基ほどの墓石が並びます。
本堂の正面左側を進み、歴代住職の墓所を通り過ぎた先に、柳生氏代々のお墓があります。
柳生氏の姓は、「菅原姓」とされ、菅原道真が祖先とも言われています。
宗矩は、宗厳の五男。
宗矩は徳川氏に仕え、関ヶ原の戦いでは、家康の命を受けて西軍を攪乱。
その功績により、徳川秀忠や家光の兵法指南役にもなりました。
宗矩の死後、領地は三人の息子(三厳、宗冬、列堂義仙)に分けられます。
長男の三厳(十兵衛)は、隻眼の剣士として知られています。
一刀石に行って写真を撮影して帰る方が多いのですが、すぐ手前には「天乃石立神社(あまのいわたてじんじゃ)」があり、神秘的なパワースポットなのでぜひご参拝ください。
写真が天乃石立神社(写真左奥を進むと一刀石)。
“自然は神なり”という、原始的な神道(古神道)の姿が見られ、一種の霊性信仰(アニミズム)が感じられます「天乃石立神社」は、本殿といった建物がありません。
「磐座(いわくら)」と呼ばれる巨大な岩石が「ご神体」となっている神社。
かつては能舞台がありましたが、現在は柳生八坂神社に移されています。
伝説では、神代の時代に、天上界でもっとも腕の力が強いのいわと)を思いっきり引き明け、洞窟をふさいでいた扉石が勢いあまってこの地まで飛んできて、3つの岩(前伏磐、前立磐、後立磐)に割れたそう。
写真は、「前立磐(左)」と「後立磐」と呼ばれる岩。
斜めになりながら絶妙なバランスを保ち、一刀石のように真っ二つに切り裂かれたように見えます。
一刀石へ行かれたなら、同じエリア内に「芳徳禅寺(ほうとくぜんじ)」があるので、こちらもぜひ参拝しましょう。
小高い丘に建つ寺院は、桜や紅葉が美しい名所。
大和柳生藩の初代藩主で、徳川将軍家の兵法指南役、柳生宗矩(やぎゅうむねのり)が、父親の柳生宗厳を供養するために創建したのが芳徳禅寺。
宗矩と親交のあった沢庵和尚が柳生城跡に開山しました。
本堂(写真)には、宗矩像や、沢庵和尚の像が安置。
本堂横の資料館では、柳生家についての資料が展示されています。
写真左奥を進むと、柳生一族の墓所も。
新緑のころも美しい。
写真が、柳生一族の墓所。
芳徳禅寺は、柳生家の菩提寺であり、80基ほどの墓石が並びます。
本堂の正面左側を進み、歴代住職の墓所を通り過ぎた先に、柳生氏代々のお墓があります。
柳生氏の姓は、「菅原姓」とされ、菅原道真が祖先とも言われています。
宗矩は、宗厳の五男。
宗矩は徳川氏に仕え、関ヶ原の戦いでは、家康の命を受けて西軍を攪乱。
その功績により、徳川秀忠や家光の兵法指南役にもなりました。
宗矩の死後、領地は三人の息子(三厳、宗冬、列堂義仙)に分けられます。
長男の三厳(十兵衛)は、隻眼の剣士として知られています。
行き違い等々の切はご容赦下さいませ。
本所亀沢町6代末孫。
大和剣豪柳生家の歴史を体感出来ます 資料も多く残っており、柳生家の歴史の名残があります 市街から離れてるだけあり、歴史と自然が織り成す、独特な雰囲気がある、素敵な里です。
柳生のような村に入ったのは、その場所の歴史的な意味からさわやかなものでした。
誰もが半分に岩の切れ目が見えるはずです。
(原文)It was refreshing to enter in such village as Yagyu because of the historical meaning of the place. Everyone should see the rock slit in half.
名前 |
大和柳生古城跡(柳生の里) |
---|---|
ジャンル |
/ |
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
3.5 |
近くを通っただけ!