空の青さと大きいイチョウの木の色づきが凄く綺麗でし...
旧街道沿い。前は普通に民家。一段高い位置に在り反対側は断崖?に成っていて平地の中での地形的防御が分かる。今は跡地なのでただの歴史公園。置いてる十兵衛“顔出し立て看板”がちゃんと左目眼帯で右目だけしか見えない。笑。
桜がきれいでした。
近くにトトロのような山があります。
県道369号線が隣接する北側から長い階段を登って行くと、柳生陣屋跡の碑と陣屋跡の土台がある。
陣屋は1374坪もあったと言う。
柳生新陰流を生み出した柳生宗厳の子にあたる柳生宗矩が、1640年頃に建てた陣屋。
1740年代に火災により全焼してしまった。
専用駐車場はないので、国道を挟んだ反対側の市営駐車場(16時まで)を利用か、国道の山脇バス停付近に路駐。
柳生藩陣屋跡現在、建物はありませんが史跡公園して整備されています。
近くを散策すると一刀石がある天乃石立神社や柳生家菩提寺芳徳寺などがあります。
【歴史】柳生陣屋は柳生新陰流創始者柳生宗厳(石舟斎)の子宗矩が宗厳の菩提を弔うため芳徳寺を建立し、引き続き三年の歳月をかけ寛永19年(1642年)この地に作ったものである。
柳生藩旧記によるとその坪数は1374坪(4534㎡)、その後宗冬により増築されたが延享4年(1747年)の火災により全焼し仮建築のまま明治の廃藩を迎えました。
奈良市により昭和55年この地を公園として整備され現在に至ります。
【アクセス】駐車場が近くにあります。
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八坂神社の前の階段を登って入りました。
公民館側からも車で入れます。
ちょうど桜が満開で桜祭りのような設えがしてあり、数組がささやかな花見ランチをしておられました。
陣屋跡だけあって小高く展望が開けており、花見には最適です。
すぐとなりが公民館なのでトイレも借りられると思います。
柳生城址の石碑や井戸の痕跡もありました。
時間があるなら家族でのんびりできる場所です。
陣屋跡ということですが、ただの公園で見るものはありません。
何もありませんでした。
碑と屋敷跡かな、と思われる区画に石垣があるくらい。
鬼滅の刃のコスプレした親子連れがランチョンマットを広げてました。
昔に想いをはせて見ると良いね。
一部石垣も残る。
ひなびた感じが良い。
恒例のさくらまつりに参加しました。
石碑があるのみでした。
長い階段を登ると公園がありました。
景色はいいです。
柳生藩主の居所跡で昭和55年6月に史跡公園として整備された、とのこと。
(奈良市観光協会サイトより)
2017.08.11.(金)16:00 初礼拝 (奈良斑鳩人)現場にあった 説明板の内容から柳生陣屋跡は 江戸時代初頭の1642年に藩の陣屋として 柳生宗矩(ヤギュウムネノリ)が3年の歳月をかけ建てられた遺構と有り宗矩は 柳生新陰流の祖である 石舟斎で名が通っている 柳生宗厳(ムネトシ)の息子で徳川将軍家の剣道指南役となり コノ柳生の地を治めた 大名トノ事でしたまた宗矩が建てた陣屋は ソノ後に増改築が行われましたが 1747年に 火災により全焼ソノ後は 柳生家代々の居館とし存在するも明治維新の廃藩置県後 藩が解体され 現在に至っているトノ事ですなお 現在の姿は 当時の遺構を生かし 奈良市が 公園として整備していると有りましコノ場に居ると 関ヶ原の合戦では 徳川側として活躍し ソノ後は主に幕府を剣術指南と言う 重責を担う立場にあった 柳生一族の面々を 同県民の一人として 誇りを感じる次第でした!
旧柳生藩陣屋跡です。
現在は整備された公園になっております。
かなり広い敷地で、かつ小高い場所でした、陣屋跡にしたら珍しいです。
約10年前に訪れた時は、イベントをしてました。
名前 |
旧柳生藩陣屋跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.7 |
以前(2020/11中頃)に行った場所ですが、空の青さと大きいイチョウの木の色づきが凄く綺麗でした。