数千人規模の渡来人村があったというのは感慨深いです...
ブルーメの丘から割と近いです。
小野(この)集落に入る所にある右手の東屋が目印です。
向かいの農業倉庫のような建物前の広場に駐車できます。
トイレがあります。
神社自体は大きくないですが、集落の人達に大切にされていそう。
期待云々より、日本文化を作り上げた渡来人の時代に思いを馳せましょう。
近江朝廷が大津に都を定めた頃、現在の韓国、時の百済国から我が国へ渡来をした多数の渡来人の中の優れた文化人であった鬼室集斯という高官の墓碑がこの神社の本殿裏の石碑に祀られているところから社名がつけられました。
古くは不動堂と言い小野村の西の宮として江戸期まで崇敬された社であり、小野の宮座である室徒株によって護持されてきました。
また今日では鬼室集斯の父、福信将軍が大韓民国忠清南道扶餘郡恩山面の恩山別神どうにお祀りされていることから、姉妹都市としての交流が盛んに行われています。
案内標識がハングル文字で書いてあって、韓国好きな友達が行ってみたいと言うので行ったが、わざわざ行くほどではなかった。
鬼室神社きしつじんじゃ滋賀県蒲生郡日野町大字小野祭神鬼室集斯(きしつ しゅうし)7世紀の百済の貴族日本(天智天皇)と百済連合軍が663年白村江で高句麗・唐連合に大敗するその際にたくさんの百済亡命貴族が日本に来朝鬼室集斯は日本でも役人になり官位は小錦下その一族を祀った神社百済風の建物が建てられています。
神社自体は普通で大して見所もない。
神社前のバス停に駐車可 対面にトイレ有り。
このあたりにその昔、数千人規模の渡来人村があったというのは感慨深いですね。
ここも渡来人の形跡が見られる。
白村江のあとは湖東と武蔵が多いが摂津あたりや上総にも。
滋賀県に百済の鬼室氏の一人物を祭神にしている神社が在るとは驚きです。
白村江の戦いのあと移住してきたようです。
この神社⛩に祀られているのは白村江の戦い以後に、百済から亡命してきた集団の指導者であったと言われます。
ここには先進技術を持つ亡命者コロニーが形成されていました。
天智亡き後の大友王子は、百済からの亡命者を新体制のブレーンとして登用します。
う〜ん…でした。
周辺を走っていると何故か「ハングル併記」されている神社がこの鬼室神社。
長閑な田園風景の中に建つ小さな神社です。
神社の前には韓国風建築の休憩所(交流広場)があったり向かいの工場?敷地内には公衆トイレもあります。
白村江の戦いで日本軍とともに落ち延びた百済の将軍鬼室福信の息子か親戚かハッキリしないが、ともかく百済人が祀られているとか。
不思議な静けさと豊かな自然は、なるほど天智帝をして厚く庇護を受けた没落百済貴族達が、最後に辿り着いた安住の地だったのかもしれない。
周辺を走っていると何故か「ハングル併記」されている神社がこの鬼室神社。
長閑な田園風景の中に建つ小さな神社です。
神社の前には韓国風建築の休憩所(交流広場)があったり向かいの工場?敷地内には公衆トイレもあります。
ハングル語の標識が目を引きます。
村の人たちによって大切に守られています。
きれいに整備されています。
名前 |
鬼室神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.7 |
1000年以上 沢山の韓国の方が住んでいたとの事。
ここの出身ではないですが巡り巡ってボクの中にもいろんな国の血が入ってるんでしょうね。
仲良くしたいなあ。