サクラ?
サクラ🌸の、綺麗な所です。
聖徳太子の建立と伝わる。
寺は丘陵地にあり近くを吉野川が流れる。
上流には宮滝遺跡があり、下流は紀の川に通じる。
寺の北には飛鳥や藤原京に通じる交通の要所になる。
今この地に訪れても寺の歴史は感じても地理的なものはピンとこない。
鎌倉時代に建てられた東塔は秀吉が伏見城に移築、その後家康が園城寺に移築したという。
そういえば園城寺で見た記憶があるが写真がアナログだったなあ。
こんな大きな建造物をレッカーもトラックも無い時代に運べるもんだなぁ。
正にプレハブ住宅感覚で分解できるのも感嘆。
(追記)アルバムを探したら20数年前の写真が出て来のをスマホで撮影した。
もっと小さい三重の塔だったと思いきやでかかったが、まだボケは来てない様だ、一安心かも?
比曽山寺(旧跡)で、空海は中国からの渡来僧に中国語を学んだと言われる場所。
空海が中国、西安に渡った時には語学が堪能であったと言われる背景がここにある。
比曽寺跡☺️
聖徳太子霊場になっていますが吉野に行く途中に見落としがちなお寺です。
奥さんも気さくで親切です。
名前 |
比曽寺跡 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
0746-32-5976 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.3 |
史跡・比曽寺 跡 (世尊寺)世に盛る 花にも念仏 申しけり 芭蕉日本書紀・欽明天皇紀には河内(和泉)に流れついた仏像をこちらに祀らせたとあり、別伝には聖徳太子の創建に係るとも伝わり、吉野川筋が早くから開けていた事を物語っています。
歴史地理学では、この辺りの高取山南麓の台地状の地勢が、そもそも “吉野” と呼ばれたとされており、実際奈良時代にはこちらの事を吉野寺とも表記しています。
其の後、寺勢の浮沈を幾度となく経ましたが、江戸時代には芭蕉が訪れて標記の歌を詠んでいます。