静かな場所で良い初詣が出来ました‼️
『宇陀・室生の旅』で寄らせて頂きました。
午前8時頃のお詣りでしたので、心静かな祈念ができ、導きの神さまにもよく届いたように思います。
拝殿裏の急階段を上ると、朱塗りが眩しい本殿があり必見です。
サッカーモニュメントも可愛らしいです。
自身の迷いもはれてありがっ様です。
日本で最初に八咫烏を祀った神社との事で気になりすぎて参拝させて頂きました🙏車1台やっと通れる道を入れば(道すがら見える鳥居から入れます)駐車場あるのでそこに止めて早速参拝。
参拝者さんはおらず私1人でしたがお参りした後に一組来られてました。
人でごった返さないとても静かで綺麗な神社です。
拝殿前は無駄なものなくとても広々としており砂利の音が心地良い☺️御朱印もありますが現在は書き置きのみで日付は入っておりません。
賽銭箱の横に箱があるので300円をお賽銭箱に収めて頂いてきます。
拝殿横にはひっそり日韓W杯記念の石像もあります。
鳥居の向こうに見える景色も良く心が落ち着く❤実は到着前まで吹雪いていたのが神社に近付く程晴天になっていって参拝時にはカンカン照りだったのがとても有難かったです🙏由緒書きを見ていても大変興味深いのでまだまだ奈良は行けてない所ばかりだからもっと色んな地域訪ねたくなりました✨
鳥居をくぐって行くと駐車場が有り狭いです。
地元の神社って感じがしました🐰朱印は300円書き置きが有りお賽銭箱に入れて下さいませ🙊静かでのどかな所でした🐶
お導きの神のシンボルである八咫烏をお祀りした神社との事で、参拝してまいりました。
境内にはFIFAワールドカップ記念のサッカーボールをヘッディングする八咫烏像もありました。
また、お参りしたいと思います。
駐車場から数段上がって広場から参道入口を振り返ると「大和富士(額井岳)」など宇陀の素敵な山々が見えます。
とても急階段ですが、ぜひ本殿に登ってお参りください。
きっと良いことがありますよ。
神武天皇の東遷の折、大和への道案内をした八咫烏の神社です(‐人‐) 日本Jリーグより、サッカーボールを頭にのせた八咫烏ぞうですがあります。
神武東遷の折(東征ではない)、道なき峻険な吉野山中で停滞していた一行を土地の豪族建角身命が全身真っ黒い衣をまとい高い木より木へと飛び移って大和へ導いた。
その姿があたかも八尺もあるような大烏の様であった(あるいは化身したとも)ので、神武天皇はその勲功を賞で「八咫烏」の称号を与えた、とある。
続日本紀に奈良朝以前の慶雲2年(705)八咫烏社を祭ると見え、これが当社の創祀となる。
古来軍神として崇敬が篤く、南北朝時代には後醍醐天皇の篤い信仰によって大いに栄えたと伝えられる。
31号線から伸びた長い参道の先に鎮座して駐車場もある。
夕方4時を回っての参拝だったからか境内は誰もおらず物静かだ。
拝殿には書置きのご朱印が用意してあるようだったが、本日は予定数終了となっていたので用紙に住所を書いて初穂料と一緒にお賽銭箱にお納めして来た。
拝殿の脇にはサッカー日本代表のマスコットキャラクターが鎮座しており、これが溺れそうなほど深い玉砂利が敷き詰められたお社に相応しいかは非常にビミョー。
御朱印は日を経ずしてご丁寧な添え状と共にお送りいただいた。
駅からバスでしたが本数見てダッシュです。
御朱印書き置きで300円は賽銭箱に。
もし書き置き無くても送ってくれます。
皆さんご存知の神武東征の際に熊野から大和への道案内の役を果たされたハ咫烏(武角身命)をお祀りしている神社。
大きくはない神社ですが、何か神秘な雰囲気。
拝殿からは本殿へ上がる階段しか見えませんが、参拝のあと拝殿の後ろへ回って階段下から見上げると少し本殿が見えます。
階段下に結界がないので上がってもいいのかなと思ったのですが、神域を汚してしまう気がしたので階段は上がりませんでした。
拝殿に向かって左方向には橿原神宮の遥拝所(石碑)がありました。
御朱印は、拝殿にて書き置きでの対応。
書き置きがない場合は、送付先などを記入しての後日郵送対応となっていました。
神話の世界に少し足を踏み入れてみては如何でしょうか。
近鉄榛原駅から開けた田園風景を南下する。
芳野川を右に見ながら程なく橋を渡り、東に流れを見る景色に。
すると右斜めに上がって行く一本道が伸びているのに必ず気付く。
そして驚くのはその入口に道案内の鳥居が、車道から始まる。
まるでここに行けっ!!という誘いを感じた。
本殿の見えない次の結界を通る。
拝殿が右にあり、そこから二段階の傾斜を持つ手すりが無ければ躊躇してしまう階段がある。
なぜここに造ったのか不思議である。
東西の参道の延長線から直角に本殿への流れは南向きを正面とするにはよくあるが、高台を選んだのは城跡なのか···それにしてはこの地は低い。
真っ赤な壁面に囲まれた内陣と本殿はなかなか見にくいのは、周りの敷地が狭く、すぐに背後が垂直な崖っぷちになるからだ。
恐ごわと手摺りを頼りに築山のような本殿をあとにする。
帰り際に東を向いたとき、遠望される目立つ突起に気が留まる。
伊那佐山であろうか。
鳥居をくぐり抜ける時に、この山をフレームに入れずにはいられないほどピッタリとはまるフォトジェニック!!誰もがしてしまう導きの神社と言える。
何かを示す目印のような神社であると感じる神社。
ヤタガラス神社。
神話では神武天皇を導いた神様の化身。
三本足のカラスということで、今でも様々な日本の象徴に採用されてますね。
境内にはコミカルなヤタガラス像があります。
とてもシンプルで厳かで何だか感じるものがありました。
鳥居の上のカラスが鳴いていたのが印象的でした。
県道から神社までの細い道の両側に八咫烏神社、初詣などののぼり旗がズラリと並んでいました。
普段はもっと静かなのですか、大晦日のせいか、サッカーシーズンだからか、かなり賑わっていました。
地域の方々がきれいに掃除されていました。
愛嬌のあるサッカーボールを持った八咫烏の象があります。
私が訪れたときは近くの民家で御朱印を書いて貰えました。
日本最古の神社。
八咫烏神社。
こじんまりとした神社です。
社務所はありましたが、呼び鈴もなくお留守のようでした。
お賽銭箱の上には箱があり事前に書いてある御朱印が中にあり必要な方はお賽銭箱に御朱印代を入れてお取りください。
って感じでした。
箱にない場合は、住所を書く紙と封筒があり後日送ってくださるそうです。
少し微妙でした。
階段上がると空気感が変わりました。
御神木のパワーがすごかったです。
少し奥まった所にある八咫烏神社階段を上がって行ったら拝殿がありますサッカーボールを乗せた可愛い八咫烏もありましたそして拝殿は簡素ですが良かったですちょうど経内に紫陽花がまだ咲いていて鳥の鳴き声も聞こえ落ち着きます階段上から参道を見ると稲の緑と山の深緑がとても綺麗でした。
お導きの神様。
簡素な佇まい。
敷地は広めです。
見逃しそうですが、本殿は階段上にあります。
駐車場は、6~7台のスペースです。
静かな場所で良い初詣が出来ました‼️
神武天皇が大和に東遷した時、「やたがらす」となって、熊野から大和に導いた軍神・建角身命(かもたけつぬみのみこと)を祀る。
鳥居の先に見える伊那佐山に祀られていたと言われる。
祭神は建角身命=八咫烏の化身。
境内の一角に橿原神宮遥拝所の碑が建てられており、帰宅後にGoogleの地図で確認すると真西(14.58Km)に「神武天皇畝傍山東北御陵」が存在する。
しかも、真東の鳥居をくぐると、本殿から見て真南に1本だけとび抜けて高い木が見える、拝殿から見て本殿の向こうが開けて真北の空が線のように見える。
・・・東西南北がはっきりわかる。
なお、本殿脇の小さな祠が当初の本殿らしいです。
葵の御神紋で、京都の賀茂族が創建に関わっている。
境内にはサッカー日本代表のマスコットキャラクターのユーモラスな石像。
拝殿、後ろの石段を上がってみてください。
本殿は鮮やかな赤と青の色彩です。
駐車場は五台くらい。
トイレもあります。
(検索:ものづくりとことだまの国、2019年9月21日)
5月中旬に訪れました。
神武天皇が熊野から大和に道案内したといわれる導きの神、八咫烏をお祀りする神社です。
サッカー日本代表のシンボルマークとしても有名です。
歴史のある神社です。
サッカーボールを頭にのせたかわいい八咫烏があります。
御朱印は駐車場の隣の宮司の家でいただくことができるようです。
別にサッカーファンでもないが名前に惹かれて行きました。
車で行くと見過ごしそうになります。
サッカーシーズンや日本代表の試合前には人が多くなるのでしょうか?案内板によるとあまりサッカー都の関わりは書かれてません。
歩くのが困難なくらいの玉砂利が印象的です。
八咫烏神社やたがらすじんじゃt奈良県宇陀市榛原高塚42祭神t建角身命式内社(小)神武天皇が大和へ進軍する際熊野の山中を大和へと道案内し皇軍の勝利に貢献した八咫烏=建角身命を祀る建角身命は賀茂御祖神社(下鴨神社)の祭神境内に入り鳥居をみると真ん中に伊那佐山(638m)が綺麗に見える住所の高塚は鷹塚とも表記するとも(小田基彦氏参照)諸情報駐車場ありトイレなし(あるいは気付かず)道中特に困難な道なし。
境内にはサッカーボールを持った可愛い八咫烏が鎮座しています。
日本サッカーの熱狂ファンが知らないと本当のファンじゃない。
神武天皇東征 宇陀へ 五條市から、現在の伊勢街道を抜けて宇陀へ。
ここで大和を支配するまでの戦いが繰り広がれます。
八咫烏神社や血原、そして伊那佐山があります。
古事記から熊野から宇陀までの道順を古事記から推定すると、吉野川の下流 = 五條市阿陀 = 五條市吉野の國栖 = 吉野市、宮滝遺跡ウダ = 宇陀市古事記によると、 (固有名詞だけを抜き取ると)“天の神の御子よ、ーーーその八咫烏が導きするでしようからーーー吉野河の下流(五條市)に到りーーー阿陀(五條市)の鵜飼の祖先ーーー吉野の國栖(吉野市、宮滝遺跡)ーーーそれから山坂を蹈み穿つて越えてウダ(宇陀)にーーー宇陀のウガチと言いますーーー抜粋: : 稗田の阿禮、太の安萬侶. “古事記: 現代語譯 古事記.” iBooks.
静かで落ち着いた場所でした。
インターホンを押させていただき、お守りも買わせていただきました。
ありがとうございました。
御祭神 / 建角身命(八咫烏)神武天皇が熊野から大和に攻め入る時に道案内をした八咫烏。
勝利に導く神様として、サッカー日本代表のシンボルマークとしても有名です。
この神社の鳥居から望むのは伊那佐山。
大好きな神社の一つです。
名前 |
八咫烏神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.2 |
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★神社参拝&御朱印巡り今日は奈良県宇陀市の八咫烏神社へお参りに行って来ました🙏八咫烏神社は我が国の草創期の正史のひとつである『續日本紀』に「西暦705年9月丙戌八咫烏社于大倭國宇太郡祭之也」と記述が見えることから、これを以て当八咫烏神社の創祀と伝えられています☺御祭神は、古事記や日本書紀における神武東遷の段において吉野山中で停滞する一行を大和之國へと道案内し、天皇の勝利に貢献した八咫烏大神 建角身命(たけつぬみのみこと)と称えています。
建角身命は「新撰姓氏録」の伝承によれば、神武天皇をお導きする際に「八咫烏」に化身せられたとも伝えられています👼このような御由緒から古来、軍神として崇敬され、南北朝時代には後醍醐天皇の篤い信仰により社は大いに栄えたと伝えられています。
自動車で行かれる方は県道31号線から鳥居の下を潜って(ちょっと狭いですが)八咫烏神社の右側に駐車場(無料)があります✨御朱印は拝殿のお賽銭箱の上に書き置きが置いてあります☺️300円です☺️