周辺をぐるりと観させていただきました。
Googleマップの崇峻天皇(すしゅんてんのう)倉梯岡上陵(くらはしのおかのうえのみささぎ)拝所に車を置かせていただき、周辺をぐるりと観させていただきました。
宇陀市から、来ましたよ☺️
6世紀末の大王、崇峻天皇の陵として治定されているが、たぶん古墳ではないと思われる。
被葬者:第32代・崇峻天皇宮内庁により、第32代・崇峻天皇の倉梯岡陵に治定されています。
崇峻天皇は飛鳥時代を生きた方で、父は第29代・欽明天皇、母は蘇我小姉君です。
拝:2020/10/17
ナビで検索して行くと、車で入れない場所に出ます。
ナビに頼るより、道路に出ている表示通りに行けば、駐車場にたどり着けます。
寺川の辺りに佇むと、天皇陵としてのその立地条件に何故か釈然としないものを感じます。
崇峻天皇の皇子の1人・蜂子皇子は遠く「みちのく」に逃れ、出羽国で羽黒山を開山しました。
その御陵は羽黒山山頂にあり、宮内庁の管轄になっています。
すぐ側に小川が流れていて、水の流れる音が聞こえる。
第32代(生没 ?年~592年(?歳) 在位 6年間)。
29代欽明天皇の第12皇子。
大臣の蘇我馬子の命を受けた東漢駒により暗殺された。
第32代天皇。
欽明天皇の第12皇子であり、敏達天皇、用明天皇、推古天皇の異母弟にあたる。
倉梯の集落奥にあります。
駐車場有り。
『日本書紀』の崇峻天皇の五年十一月条に「馬子宿禰、群臣を詐めて曰はく、『今日、東国の調を進る。
』という。
乃ち東漢直駒(やまとのあやのあたいこま)をして、天皇を弑せまつらしむ。
是の日に、天皇を倉梯岡(くらはし)陵に葬りまつる。
」とある。
正史に残る天皇殺しは珍しい。
現在、崇峻天皇陵は、倉梯柴垣宮の旧地と伝えられてきた小字「天皇屋敷」(桜井市倉橋)にある。
同地に、崇峻天皇の位牌を祀る金福寺があったことから、陵地として決定したという。
元金福寺は目の前にある。
静かな陵墓です。
日本書紀にここに崇峻天皇をこの地に葬ったという記述があるので、宮内庁はここを崇峻天皇陵として比定したらしいです。
崇峻天皇のお墓としては藤ノ木古墳なども被。
専用の駐車場ありました。
車で行くことが可能です。
直径約35mの円墳。
ただし、古墳では無いとする説、赤坂天王山古墳が崇峻天皇陵とする説がある。
なお、崇峻天皇は蘇我馬子により暗殺されたとされる天皇。
なんか、ここから南西3kmほど先にある石舞台(馬子の墓)をずっと恨めしそうに睨み付けているような気がしないでもない・・・。
割と広い陵だと思います。
駐車場もあって参拝しやすいです。
県道から少し入ったところにあります。
変則的な階段になっています。
第32代 崇峻天皇 すしゅんてんのう 参拝場所の隣には小川があり心地好いです♪駐車場に大きな石がありますがこれは以前の民家が使ってた井戸の石で何ら由来のあるものでは無いとの事です(^^;
名前 |
崇峻天皇陵 倉梯岡陵 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
3.9 |
周辺のオススメ

かなり雰囲気が良い陵墓です。
陵墓近くに流れる小川が雰囲気の良さをアシストしています。
まあ、秋なので少し寒々しいですが笑さて、陵墓は駐車場を兼ね備えています鳥居の手前まで行けない構造になっています。
ただ、川のほとりは歩けるので、角度は斜めですが接近はできます。
入っていいのか分かりませんが。
まあ気にしないでいきましょう。