それを少し登ると鳥居をくぐって到着します。
まち町、地域ごとに味わい深い表情を魅せてくれる古都奈良。
この飛鳥地域にも颯々、淀み、特有の奥深いランドスケープを感じます。
あすかかわかみにいますうすたきひめのみこと。
寿限無、寿限無、五劫のすりきれ、海砂利水魚と続けたくなるところですが。
登り降りするだけでも価値ある200段近い階段。
実際に手で触れ、登り始めると、なぜか自分が歴史の一部にでもなったような、勝手な錯覚に。
心地良いパラレル。
来た甲斐がありました。
創建以来、一体どれほどの人々が登り降りしたのかなと思いを馳せます。
階段自体、横幅は長いですが奥行きが少々浅いです。
踵が浮く感じも。
高所恐怖症の方には昇降の最中、そのことを思い出さぬよう祈るばかりです。
本殿は高台に。
時が止まったよう。
ほんのちょっとだけ相対性理論が理解できたような錯覚に。
長い階段を登った後、到着と思いきや坂道が続いていて、それを少し登ると鳥居をくぐって到着します。
境内一面に苔が広がっていてとっても素敵な神社でした。
名前も日本一長いとはこんな身近に凄い神社があったとは明日香村にかなりの回数訪れているのに今回初めて知りました。
『あすかかわかみにいますうすたきひめのみことじんじゃ』と云われます、日本一長いお名前のお宮さまです。
階段も同じく長く急で、朝イチお詣りなので、当然一人っきりでしたが、不思議と怖さも無く、お詣りさせて頂けました。
空気も澄み渡り、摂社の間に拝殿があり、その後ろの山が神域=ご神体になる、いにしえからの祈りの形式を今に残すお宮さまです。
今回は行き先を車中泊時にこちらさまに決めましたが、大正解でした。
是非一度はお詣り下さい。
因みに路駐になりますので、ご留意下さい。
ありがっ様です。
神社の名称が長すぎてすぐに忘れる。
境内は静かで、時がゆっくり流れ、歴史を感じる。
拝殿背後の「南淵山」を神体とするようだ。
南淵山は神の住む聖なる山とされる。
一番長い名前の神社だそうです。
鄙びた神社で、本殿の前でも苔むしてました。
後ろの山がご神体 訪れる人もほとんどなく、森閑とした、静寂の佇まいがいつもそこにあります。
どうしてこんなに荒れているのでしょう。
菊の御紋を乗せた拝殿の上に木の葉が堆積していて、石柵もたおれたままです。
郷社だそうですが、やはり過疎化が進んでいるのでしょうか。
急な階段を登り、折り返しの緩やかな坂を登った所にある鳥居をくぐると下界とは違う空気が漂っています。
ちょっと登りますが、3分もかからずに、お社まで行けます。
駐車場はないですが、道が広くなってるので、まず大丈夫かと。
レンタサイクルではなかなかしんどいエリアかもです。
参道はそれほど落ち葉などは見当たらず、氏子さんや地元の方々がお掃除されてるのでしょうか。
枝打ちなども必要なはず。
おかげで、安心してお詣りさせていただけました。
静かな良いところで、個人的にはかなり良かったです。
再訪したいですね。
歴史史跡だけでなく、こんな雰囲気の神社もあるなんて、明日香村は奥深いところです。
ここからもう少し奥(山側)には美味しいご飯(さららさん)と素晴らしい景色(天空展望台)もあります。
飛鳥の地へ流れる飛鳥川の水の神を祀る神社。
上流にやはり水の神を祀る加夜奈留美命神社がある。
階段は急な階段189段手摺は無く降りるときが危険です階段を上がるとコンクリートの道石の鳥居があり、鳥居の上に小石がいっぱい乗っています。
鳥居をくぐると神社に着きます御神体は山です。
1人では怖いかも。
「あすかのかわかみにいます・うすたきひめのみこと・じんじゃ」入り口の由緒書は古くてもう読めない。
奥明日香の四ヶ大字(おおあざ)、栢森(かやのもり)、稲渕(いなぶち)、畑(はた)、入谷(にゅうだに)の郷社。
水神さんで、古事記イザナミの命に出てくる水の神様「みつはのめのかみ」が御祭神。
罔象女神と書く。
(ものづくりとことだまの国、2019年8月24日)
加夜奈留美命神社のお母さんにあたる神社です。
駐車場がなく川沿いの道路に路上駐車しなくてはいけません。
階段も100段以上ありお年寄りにはきついです。
この神社の屋根の横に菊の御紋が付いています。
皇室と関係があるのでしょうか?
式内社 大和國高市郡 飛鳥川上坐宇須多伎比賣命神社 ですこのお社は 古代信仰の形態を留めています(写真あり)本殿がありません拝殿から 後方の山を「御神体」として拝する原初信仰の形態です(大三輪 大神神社と同じ形態です)
飛鳥川上坐宇須多岐比売神社あすかのかわかみにますうすたきひめのみことじんじゃt奈良県高市郡 明日香村稲渕698祭神宇須多伎比売命神功皇后 応神天皇式内社皇極紀には寺社とも祈雨に験なし皇極天皇が自ら祈雨その対象は宇須多伎比売命雨が降ったとの伝承宇須多伎比売命は南淵山の女神且つ竜蛇神であろう神功皇后 、応神天皇は権威付け社殿の規模から見て本来は南淵山が神体であったであろう(大矢良哲氏)諸情報駐車場なしトイレなし道中特に困難なし。
奥飛鳥の神社で日本一名前が長いそうです。
けっこう本殿まで登る必要があります。
雰囲気の良いところです。
本殿の辺りの樹の枝振りが雷のようで、面白く拝見してきました。
階段上がったものの険しく1人なので残念🎵次回は誰か連れていこう(*^^*)
古社の風情満載でございます。
式内社に比定されている古社で、とてもいい雰囲気の中にある。
経路案内で「徒歩」を選ぶと、林道側を表示されることがありますが、アプローチできないので注意が必要です。
急角度の参道を上がると、大きな木々に囲まれた神社に。
とっても雰囲気の良いスポットです。
階段は長く、段の幅は狭いので注意は必要ですが、足を運ぶ価値はあると思います。
名前 |
飛鳥川上坐宇須多岐比売命神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.3 |
周辺のオススメ

飛鳥川上坐宇須多岐比売命神社飛鳥川上流、奈良県明日香村稲淵・栢森間の 宮山中腹に鎮座。
本殿は中間が遥拝造で、後方 の山を拝する形をとる。
祭神は宇須多伎比売・ 神功皇后・応神天皇。
旧村社。
「延喜式」神名帳 高市郡の「飛鳥川上坐宇須多岐比売命神社」とさ れる。
宇須多伎(臼滝)比売命は飛鳥坐神社の裔 神とされる(「延喜交替式」、貞観一〇年六月二八日 「太政官符」類聚三代格)。
ちなみに神社東方の大 字畑にウスタケの小字が残る。
鎮座地稲淵は皇 極天皇が雨乞をした南淵の河上(「日本書紀」皇極 天皇元年八月条)で、神社北方に南淵山がる。
近世、宇佐宮・宇佐八幡と通称され、天文二二 年(一五五三)銘の御湯釜(現存せず)にも宇佐八幡 宮と刻する(高市郡神社誌)。
「高市郡古跡略考」に 「宇佐宮ノ下なる川中ニ少しき淵あり。
底ニ駒 の足跡あり。
皇極請雨の所にや」とみえ、明治 初年まで雨乞のナモデ踊を「本なもで」と称して 神社で興行したと伝え、その後は内宮(稲淵、南 淵請安墓に残る旧談山神社)において「かりなもで」 が行われた。
氏子は大字稲淵・栢森・入谷・畑に 居住。
平安時代前期の作と推定される男女各二 体の神像を蔵する。
明治四四年(一九一一)入谷 に鎮座の大仁保神社を合祀、合祀後も旧地に社 殿が残されている。
同社は仁徳天皇を祭神とし、 元慶二年(八七八)二月二七日に従五位下を授け られた大仁保神(三代実録)にあてる説がある(大 和志)。
「日本書紀」皇極天皇三年一一月条に、蘇 我蝦夷が大丹穂山に桙削寺を造立したことがみ える。
桙削寺跡については子島寺説、入谷説、 高取町丹生谷説(大和志)などがあり、「大和志料」 は丹生谷の大仁保神社をもって国史見在社と する。
『大和・紀伊 寺院神社事典』