天香久山から板蓋宮迄の落ち着く路。
すっかり田畑の中に埋もれてます いにしえのお寺の跡を想像してロマンがかきたてられます。
天香久山から板蓋宮迄の落ち着く路。
天智、天武、持統、文武の時代、飛鳥四大寺は、蘇我氏鎮魂の為の飛鳥寺、国家安泰を祈る大官大寺、天智天皇と天武天皇の母親である斉明天皇の霊を祀る川原寺(引徳寺こうとくじ)、そして天武天皇と持統天皇の愛の結晶である薬師如来を祀る本薬師寺からなっている。
その後、飛鳥寺は、平城京への遷都で最後まで藤原氏采配の下での遷都を拒んだ唯一の寺であったことから、今でも小さいながら藤原京の地に飛鳥寺としての残っている。
他の3寺は今は、跡形もない。
本薬師寺は小さいながらも華麗な寺として、天武と持統天皇の血を引く者が天皇であり続けるシンボルとして平城京に残る。
天武天皇が創建した大官大寺は渋々と遷都に応じ、名を大安寺として小さく平城京に残る。
川原寺(引福寺こうふくじ)は、藤原氏の氏寺である興福寺(こうふくじ)として、平城京の一等地に広大な広さを持って取って代われている。
まさに、平城京遷都は藤原氏による仏教支配を進めるための戦略が見え隠れして面白い。
ここから少し北に進むと、東西東西にある寺院が刻まれたレリーフがあります。
田んぼの中にあり 石碑が 1つあるだけで 何が良いのか 解りませんでした。
大官大寺(だいかんだいじ)。
百済大寺 → 高市(たかいち)大寺 → 大官大寺 → 大安寺と変遷を繰り返した巨大な官寺です。
現在は奈良市に「大安寺」として残っていますが、かつては南都七大寺に数えられたという面影はなく、こじんまりとしています。
名前 |
大官大寺跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0744-47-1315 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
3.7 |
天の香久山の南側に広がるが、現在はただの農地が広がっているだけで、大寺があったという感じは無い。
表示板の説明文でそれと知れるのみ。