旧図から現在地の表示と水落遺跡の図を移植したものを...
斉明天皇期の外交施設(迎賓館)を中心とした遺跡。
一角からは須弥山石・石人像が発掘されている。
遺跡自体は埋め戻されて見る影もないが、当時に思いを馳せるにはよいかも。
新しい説明看板の図が変更になっていてわかりにくくなったので、旧図から現在地の表示と水落遺跡の図を移植したものをUPしました。
水落遺跡の図の縮尺は適当です。
明日香村の管理の方、現在地ぐらいは追加してください。
斉明天皇時代の饗宴施設遺跡と考えられている。
ここだけを見ると何だかわかりません。
全体像はわかりませんが、至るところに遺跡がねむっているのでしょうね。
この遺跡から山田道(やまだみち)が確認されています。
名前 |
石神遺跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト |
http://asuka-japan-heritage.jp/jitou/spot/%E7%9F%B3%E7%A5%9E%E9%81%BA%E8%B7%A1/ |
評価 |
2.9 |
飛鳥時代の迎賓館だったと言われている遺跡です。
ここにある説明板の近くに石が敷かれて四方も石で囲まれたものがかすかに見られますが、これは一体何なのでしょうか?ここから出土した遺構を復元したものでしょうか?昔の写真を見るとそれらしくも見えますが、今では半分近くは土に埋まっていて草も茫々に生えているので、とてもそのようには見えません。
ちゃんと整備してほしいと思います。
ところでこの近くから出土した石造物が飛鳥資料館で須弥山石として展示・復元されています。
しかしあれは須弥山ではなく崑崙山ではないかという説もあります。
須弥山だと仏教の、崑崙山だと道教の施設ということになります。
ちなみに崑崙山とは漢土の西北に位置する天に届くばかりの高山で、その周囲にはすべてのものを溺れさせるという弱水がめぐっているそうです。
飛鳥資料館の庭で見たこの石造物の復元品からも水が出ていました。
それを見ているとこれは弱水を表しているのかもと思ったりします。
はたしてこの石造物は須弥山なのか?崑崙山なのか?真実や如何?