こじんまり してますが雰囲気は 抜群一度は お参り...
南部倭観音霊場 二十九番札所 高野山真言宗 十一面観音菩薩。
落ち着いた雰囲気でお参り出来ました。
拝観をお願いしたところ、住職さんがお寺や仏像のことを詳しく説明してくださいました😃吉備真備の発願で建立されたお寺。
当時の建造物は現存していません。
遣唐使として唐に渡った吉備真備が帰朝後、観音堂を子の元興寺僧善覚に創建させました。
観音堂の中に厨子があって、その中に観音菩薩が安置されています。
脇侍は普賢菩薩、文珠菩薩という珍しい三尊形式。
厨子の中には十二支の守り本尊も安置されていて賑やかです☺️傷んでいて展示できないそうですが、「御厨子山妙法寺縁起絵巻」も所蔵されています。
ボストン美術館の「吉備大臣入唐絵巻」と重なる内容が含まれています。
遣唐使として唐に渡った吉備真備が阿倍仲麻呂の霊(幽鬼)の助けで唐の人々から出された難題に見事に答えていく物語です。
吉備真備伝説の後半に「観音菩薩の化身のクモの導きで難解な邪馬台詩を読むことができた」という御厨子観音に関連する話があります。
邪馬台詩を読めなくて困った時に、観世音の名を唱えると天井からクモが垂れてきて詩の中央に降り、クモの這う跡を辿ると意味がわかったというお話。
お寺は少し高台にあって、広々としたところが磐余池の跡地だそうです。
「磐余・山田の道/万葉の道」巻八の二の六 橿原市東池尻町みずし観音(妙法寺/みょうほうじ)ご本尊十一面観世音菩薩さまを祀る、真言宗高野山派の寺院です。
「ぼけよけ地蔵尊」や眼病にご利益があるとされている「光明不動」などが有名で、吉備真備の功績の流れが続いています。
時間的に訪れるのが遅かったこともありますが、この磐余伝承地の辺りにはどことなく”うら寂しい”印象が拭い去れません。
快活な飛鳥や鹿寄せで歓声上がる奈良公園などとは真逆の佇まいです。
「磐余」の地には神武天皇の諡号『神倭磐余彦(カムヤマトイワレヒコ)』に由来する関わりをはじめ、神功皇后・履中・清寧・継体・敏達・用明などの天皇の皇居がこの地に所在したことは事実ですが、こういったことも含めて静かな環境を維持しているということなのでしょうか。
奈良時代の賢人である吉備真備が遣唐使として派遣され、無事唐から帰国できたことを喜び、天平7年(735)に善覚律師に命じて観音堂を創建させたことに始まります。
有り難く、”一願成就”の御朱印を頂きました。
南部倭西国三十三霊所29番と書かれておりました。
毎年、除夜の鐘をつかせて頂いてます。
こじんまり してますが雰囲気は 抜群一度は お参りするといいと思います本堂の小さな鐘も いい音です。
墓参りすると心が軽くなり空気も良いしほっとします。
御朱印をいただきました 一願成就(300)駐車場:無料拝観料:300 JAF会員割引ありぼけよけ二十四地蔵南部倭西国霊場。
御厨子観音とも呼ばれる妙法寺の本堂手前階段を降りたところに不動明王磨崖仏がありました。
今では完全に風化し、何が彫られているかわかりませんが、「もし、不動明王さまの姿が現れたら眼病が治る」と書かれていました。
なんとなく見えたような気がしたので私の目も大丈夫でしょう。
妙法寺は吉備真備が、子の善覚律師に命じて観音堂を建立させたのが始まりといわれる。
ぼけよけの寺として有名らしく大型バスで団体さんがやってきます。
西側の道路から進入路があります。
広い駐車場もあり、そこから西側を見ると田んぼが広がっていますが、ここはかつて記紀万葉の時代に磐余池という人工の池があったとされています。
入口あたりに謀反の咎で処刑された大津皇子の歌碑があります。
碑文は奈良の写真家を代表する入江泰吉氏によります。
『ももつたふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみみてや雲がくりなむ』• 歌の解釈:大津皇子が処刑される時に、磐余の池の堤で涙を流してお作りになった歌訳「磐余の池で、ああ鴨が鳴いた。
じっと見ると、物陰に鴨はいる。
ぽっつりと浮かんで。
これを見納めとして、私は死んでいかねばならぬのか。
」
ぼけよけ霊場第14番 みずし観音。
名前 |
妙法寺(御厨子観音) |
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ジャンル |
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電話番号 |
0744-22-3928 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.0 |
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橿原市でも香久山にちかいところにある秘境的なお寺。
ボケ封じや水子供養などをされているよう。
御朱印もありますよ。