そこから500メートルぐらい、暗い藪の中を歩きます...
登るのに多少キツいですが見晴らしが素晴らしい。
そして高貴な方のお墓だと思わせる立派な作り。
ボランティアガイドの方の説明も力が入ってました。
2023.11.05この古墳はなかなか衝撃的な外観だ。
道を曲がると小さな山の中腹に整備された古墳らしきものと、ひときわ目立つ頂上の白い石。
発掘調査後は遺跡公園として整備されている。
八角形の墳墓は天皇のものとされ、斉明天皇の陵墓ではないかと言われているようだ。
コンクリートのように見えた白い部分は、凝灰岩が貼られているもの。
つまり昔は白い貼石が表面に貼られていたそうだ(元は二上山から切り出した石だったようだが、復元は別地域の石)。
飛鳥から見ると朝日を浴びてさぞかし美しい眺めであろうこのような化粧石はピラミッドでも施され、建設時はピラミッド全体が覆われていた。
日本でもこのようなものがあるとは知らなかった。
ナビの通りに行くと、山の途中ぐらいに着き、そこから500メートルぐらい、暗い藪の中を歩きます。
道はしっかりあります。
突然、真っ白な古墳が現れます。
少し感動上からの景色は抜群です。
なぜ、ここにこんな古墳がと古のことに思いを馳せます。
飛鳥駅から裏手に回り徒歩15分くらいで行けます。
天皇家のみ採用の八角墳で斉明天皇と間人皇女の合葬の可能性が高い古墳です。
現地には常時ガイドさんがいるようなので詳しく説明してくれます。
また、中は事前予約で目の前まで行けるようです。
現地までは坂が急なので徒歩をおすすめします。
外見を覆っている白い岩は保護のために組んだものです。
GW初日に訪問。
飛鳥駅から徒歩で10分余りです。
飛鳥時代の八角墳で斉明天皇の陵墓の可能性が高いですが、宮内庁は別の古墳を治定していることから古墳の敷地内に入ることができます。
100段の階段を上がっていくと石造りの古墳にたどり着きます。
整備されて間もないことから非常にきれいです。
また、説明の方がおられ、横穴に入って3分ほどの説明VTRを見ることができます。
高台から古墳の全景を見ることができます。
古墳には駐車場はありませんが、行く途中に臨時の駐車場がありました。
ガイドのおじさんに分かりやすい説明をしていただきました。
現地でしか分からないことがあるなと、つくづく思いました。
大変満足しています。
古墳の外装が未来的です。
古墳自体は外からも見ることができますが、是非予約をして有料エリアの石室内も見て欲しい古墳です。
綺麗に加工された巨石は一見の価値ありですよ!
牽牛子塚古墳はアサガオ塚古墳と昔は呼ばれていました。
近年の発掘で八角形である事が確定し斉明天皇、間人皇女の合同墓地、中腹の越塚御門古墳(大田皇女)である事が有力になっています‼️建造当時の白く輝いている姿で再建されました。
飛鳥の時代が忍ばれます。
駐車場(画像参照)から760m。
林を抜けると三角形の白い構造物が現れた。
「おおっ」と少し息を飲む。
文部省の演出は成功したか?復元の賛否はさておき、古代人はあの墳墓を見て「神々しい」とか「畏れ多い」などと感じたのだろうか?少なくとも現代人のワシにはそうしたものは感じられなかった。
考古学的な展示物という感覚で鑑賞した方がいいかもしれない。
そういや高松塚、キトラも然りやな。
直前に訪ねた車木ケンノウ古墳の雰囲気とは全く対照的であった。
世界遺産登録を見据えて明日香村が四年かけて整備した牽牛子塚古墳がついに完成!とてもきれいに整備されており、牽牛子塚古墳、越塚御門古墳のみならず、映像資料、模型広場まであって見応えたっぷり!明日香村の気合いがヒシヒシと伝わってきます。
飛鳥駅から約700m、徒歩約8分、立ち寄りやすさも抜群。
墳丘ゆえに標高があり、多少歩きますのでその点はご注意を。
そのかわりに展望広場からの眺望は大変素晴らしいものです。
天武・持統天皇陵、中尾山古墳、文武天皇陵、その背後にそびえる多武峰~高取山等々、ぜひ天気の良い日に行ってみてください!
牽牛子塚古墳は最近の発掘により斉明天皇の御陵ではないかとの説が唱えられ、御覧の通り八角形墳ですからその蓋然性は高いように思われます。
岩舟から竹林の道を下ったり上がったりしながら歩いていると、小さな看板、矢印⬅️がポイント場所に貼られています。
途中鎖の掛かった鉄門(害獣よけ)も有りました。
現在は、まだ工事中🚧で見学、入場は出来ません。
完成したら、とても立派な古墳に成るのではと思っています。
◽アクセス①近鉄吉野線 「飛鳥駅」︰徒歩15分②近鉄飛鳥駅前︰レンタサイクル◽「牽牛子塚古墳」概要▪「牽牛子」はアサガオの別称とのことです。
. 「御前塚」との呼称と同様に、初めて知り. ました。
▪八角形墳 「斉明天皇と間人皇女の合葬墓」. 被葬者については古墳の立地や歯牙等から. 斉明天皇・間人皇女の合葬墓と考える説が. 有力です。. である云う説が有力とのことです。
▪墳頂部まで登れ「墳丘からの眺望」も申し. 分ありませんでした。
▪万葉集に多く詠れた「真弓丘陵」の一画に. 位置しています。
墳丘は版築により築成. されています。
(墳丘上の解説板より)◽「牽牛子塚古墳」 データ▪形状 ︰八角墳▪規模 ︰墳丘対辺長約22m(石敷・砂利敷部分を含むと32m)▪出土品 ︰夾紵棺、七宝飾り金具、臼歯▪築造時期︰7世紀中葉~8世紀初頭▪被葬者 ︰(一説)第37代斉明天皇▪史跡 ︰国史跡. 「牽牛子塚古墳・越塚御門古墳」▪文化財 ︰有形文化財出土品 (国重文)▪発掘調査︰2009(H21)年〜2010(H22)年◽訪問時は、整備工事中でした▪何より楽しみなのは、整備工事完成後. の 「古墳公園 version 」 の完成です。
◽散策コース①岩屋山古墳 ②牽牛子塚古墳③真弓鑵子塚古墳 ④マルコ山古墳⑤与楽乾城古墳 ⑥東明神古墳◽岩屋山古墳を過ぎて▪丘陵地の古い民家が建ち並ぶ中を、. 畝り縫う径を進むと、神社が見えて. きます。
▪その神社を過ぎ、坂道を下りきって. 右に折れ、坂道をまた上り下りして. 暫く進むと~▪左手の視界が一気に開けたその先に. 丘陵先端に、終末期古墳特有のシル. エットが浮かび上がってきます。
今から8年前の2013年のGW、「本当にこの先にあるんかいな?」と思いながら電動自転車を押して畑の中の道を歩いた。
当時は草がぼうぼうと生い茂っていて、あまり手入れもされていない感じで「おいおい、八角墳で斉明天皇と間人皇女の合葬墓かも知れんのだぞ。
なんだかなぁ~」と思った記憶がある。
2016年にキトラ古墳の四神の館を観たあと再訪したら、石室は覗くことが出来たが古墳の半分くらいシートで覆われていた。
公園として整備されたらどんな風景になっているのだろう。
明日香村によると3月31日まで閉室とのこと。
久しぶりに行かれる方は地形の大変化に驚くこととと思います。
今、公園整備工事中です。
完成後の期待をこめて。
牽牛子塚古墳は明日香村大字越に所在する終末期古墳で別名「御前塚」「あさがお塚古墳」と呼ばれています。
昭和53年には環境整備事業の一環として発掘調査が実施されています。
墳丘は対角長18.5m高さ約4mの八角形墳で版築によって築かれています。
埋葬施設は二上山の凝灰角礫岩の巨石を刳り貫いた横口式石槨で中央に間仕切り壁を有しています。
両側には長さ約2mの墓室があり、壁面には漆喰が塗布されています。
床面には長さ約1.95m、幅約80cmの棺台が削り出されています。
閉塞石については内扉と外扉の2石からなり、内扉は凝灰岩製で高さ約1.12m、厚さ約62cm、幅1.47mを測ります。
内扉の四隅には方形の孔が穿たれており、扉飾金具が装着されていたものと考えられます。
外扉については安山岩系の石材を用いており、幅2.69m、厚さ約63cm、高さ2.4mあり、現地で斜めに倒れた状態で残っています。
飛鳥の刳り貫き横口式石槨墳については益田岩船や鬼の俎・雪隠古墳があり、牽牛子塚古墳と益田岩船は巨石を刳り貫いたタイプで鬼の俎・雪隠古墳(石宝殿古墳(寝屋川市)では床石と蓋石が別々に構成されています。この二つのタイプの前後関係については石宝殿古墳に羨道が存在することから羨道を持つタイプから持たないタイプへと変化していったものと考えられます。また1石の巨石を刳り貫いたタイプよりも床石と蓋石が別々に造られたタイプの方が先行すると考えられます。更に使用されている石材については鬼の俎・雪隠古墳や益田岩船では硬質の石英閃緑岩が、牽牛子塚古墳では軟質の凝灰岩が使用されています。他の飛鳥地域の古墳をみると6世紀から7世紀中頃にかけて硬質の花崗岩等が使用され、7世紀後半以降になると軟質の二上山系凝灰岩へと変化していきます。このように考えると飛鳥の刳り貫き式石槨墳は鬼の俎・雪隠古墳から益田岩船、そして牽牛子塚古墳の順に築かれていったと考えることができます。出土遺物については夾紵棺片や七宝亀甲形座金具、ガラス玉等があり、夾紵棺の一部や閉塞石の内扉は明日香村埋蔵文化財展示室で常設展示されています。築造年代については出土遺物等から7世紀後半頃と考えられます。被葬者については古墳の立地や歯牙等から斉明天皇と間人皇女の合葬墓と考える説が有力です。
2019.12.14訪問牽牛子塚古墳は明日香村大字越に所在する終末期古墳で別名「御前塚」「あさがお塚古墳」と呼ばれています。
平成21年の調査で対辺長約22メートル高さ4.5メートル以上の八角形墳であることが判明してます。
現状は古墳整備により立入禁止に成っています。
工事期限は令和2年3月25日迄です。
4月には完成披露に成るでしょう。
道順① 奈良産直センター入口より左側の狭い道を通り、案内看板により雑木林の中を通ります。
立入禁止立看板が見えてきます。
(旧ルート)② 奈良産直センター入口手前、右側の下り坂を通るルートで近くへは行けます。
(新ルート)駐車場は有りませんので脇道へ止めました。
現在復元工事中です。
完成が楽しみです。
斉明天皇陵の可能性が高い八角形の終末期古墳。
おそらく石室の中が観察できる唯一の天皇陵(可能性大)。
墳丘は対辺約22メートル、高さ約4.5メートルの八角形で、側面を縦約30センチ、横約25センチの切り石5千個で覆っていたことが判明した。
石は約20キロ離れた二上山周辺から運んだとみられる。
墳丘を築くために丘陵の尾根周辺を大掛かりに造成した痕跡も確認されている。
墳丘の麓で見つかった巨石をくりぬいて造った石槨(せっかく)。
日本書紀の「斉明天皇と間人皇女の合葬墓の前に大田皇女を葬った」との記述に合致する発見で、越塚御門(こしつかごもん)古墳と命名された。
近鉄吉野線飛鳥駅から約徒歩20分。
墳丘は崩壊を防ぐため現在ビニールシートで覆われているが、近くで見学は可能。
出土品は明日香村埋蔵文化財展示室(入場無料)などで見ることができる。
高松塚古墳などほかの古墳を巡るには同駅や橿原神宮前駅で明日香周遊バスを利用するのが便利。
明日香村は両古墳を20年をメドに復元し、歴史公園に整備する計画となっている。
この古墳は10年以上前にも訪ねたことがありましたが、その時は山道を進んでも見つからず近くまでは行っていたのだけれど(どこが古墳か分からなかった)、挫折して戻った事がありました。
今回はそのリベンジでついにたどり着けましたが他にもひょっとしたら行ける道があったのかなとも思っています。
貴重な古墳であるのだろうけれど、発掘の跡は特に整備されているわけではなく、ビニールシートに覆われてなにか無残な感じがしてしまい、ちょっとがっかりしました。
しっかりとした石室内、二つ並んだ棺台が昔を思わせます。
くりぬいた入口の加工も見事です。
平成27年4月に日本遺産「日本国創成のとき~飛鳥を翔た女性たち~」のひとつとして認定されました。
シートがかぶされていて、みすぼらしいです。
とてもそんな認定をうけているとはおもえないような外見です。
整備する計画があるようですが、キトラ古墳みたいにあんまり整備しすぎるのもどうかとはおもいます。
できれば、ほどほどにこぎれいにしてほしいなとおもいます。
7世紀頃に作られた八角墳(ピラミッド形の古墳)で被葬者はさだかではありませんが斉明天皇の陵墓である可能性が高いそうです。
ちなみに今現在、斉明天皇が祀られている斉明天皇陵は牽牛塚古墳の近くにあり、天皇陵として宮内庁が管理しています。
牽牛塚古墳の特徴は石棺に二人を収容できるところだそうです。
道に牽牛塚古墳への案内板が所々設置されているのでわりと簡単に行くことができす。
名前 |
牽牛子塚古墳 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
4.0 |
周辺のオススメ

全国で15例ほどある墳丘が八角形の古墳時代終末期の墳墓です。
政治の中心地だった飛鳥地域に多いです。
歴史研究者の間では斉明(皇極)天皇と間人皇女との合葬陵墓として有力視されています。
宮内庁では斉明天皇陵は越智崗上陵なので観光用に整備できたようです。
白い墳丘とバリアフリーでクネクネ道が印象的な所です。
駐車場は陵墓近くにありますが観光客は使用できず西側「アグリステーション飛鳥」、東側「道の駅飛鳥」「臨時駐車場」の無料駐車場からの徒歩です。
自転車だと直ぐ近くに止められます。
建設費の回収目的なのでしょうか?春と秋の土日祝日には石室前に降りれたり紹介映像が見学できる有料見学もあります。
現地を訪れると三方に囲まれた風水思想を取り入れた陵墓であることが良く分かります。
自然石ではなく加工された葺石が再現された現代アートのような墳丘は保護カバーだそうでUFOにも見えました。
鏡餅のようにこんもりとした墳丘が好みなのでちょっと馴染めない感ありです。
出土品は橿原考古学研究所附属博物館で展示しています。