中には入れない石室剥き出しの古墳。
貝吹山に登った後、時間に余裕があったので、小谷古墳迄行ってきました。
それでも、まだまだ時間に余裕があったので貝吹山城跡までひき帰り 明日香、高取の農道⁉️に出て、牽牛塚古墳で昼食休憩。
その後工事中の牽牛塚古墳から岩船に向かって歩いていたのでさすが、途中であまりの雑草で道が分からず、人の足跡あった方へ木々をかき分け下ってたらちゃんとした道に出ること出来ましたちょっとした冒険でした(笑)
案内板は あるのですが、そこから 古墳までは 山の中に入ってからの案内がないので 大変わかりにくいです。
ご近所の方が親切に案内してくださいました。
天井石は 石舞台よりも 大きいそうです。
2019.12.14訪問小谷古墳のある場所は住宅街が迫る急傾斜地です。
橿原ニュータウンの宅地造成により、周囲は区画整備された住宅街が広がっていました。
県の史跡に指定されている小谷古墳は、貝吹山から北東に延びる丘陵の先端に築かれています。
古墳は鉄柵で囲まれて石室に近づく事はできません。
墳丘の流出が激しいため墳形は不明ですが、方墳、あるいは円墳である様です。
墳丘の規模は30m前後、高さは約8mで、墳丘の大きさに比して背の高い腰高の古墳と言えます。
子供の頃は、このあたりは少し山の中の遊び場所だった。
上に登ったり、玄室の中の石棺に潜り込んだり、近くにあった岩船とともに特別な場所の感覚はまったくなかった。
久しぶりに覗きに行くと、周囲に柵ができていて中が見えなくなっていた。
樫原ニュータウンの西側の丘陵の端に位置し古墳は廻りが崩壊してむき出し状態です。
場所的には越智岡に含まれます。
古墳の石室の構造は岩屋山古墳と同じく、玄室の側壁は上段二石、下段三石、奥壁は上、下とも一石。
この事から時期的には斉明天皇の没年と一致する。
古墳の形状は円墳か方墳だったか分からないし、八角墳の可能性も否定できない。
そして三骨一廟のスタイルと墳丘の崩落等。
この事からも斉明天皇陵が牽牛子塚古墳で決まりでなくて、小谷古墳と牽牛子塚古墳、岩屋山古墳を合わせて筋書を導き出して欲しいものだ。
足場が悪くて石室内がよく見えないが重量感は素晴らしい。
中には入れない石室剥き出しの古墳。
小谷古墳の石室は施錠されており、立ち入り禁止です。
(2018/09/14時点)橿原市または博物館等が主催される古墳ツアーに参加すると、石室内部も見学することができます。
直径約30mの円墳もしくは方墳、築造時期は7世紀中頃と推定。
盛土はなく横穴式石室が観られる。
玄室内には石棺が残されているとのこと。
ただし、鉄柵があり内部には入れない。
名前 |
小谷古墳 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
4.0 |
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どこにあるのかさっぱり分からず、山の周りを何度も行ったり来たり。
行き止まりに車を止めて少し登りました。
諦めかけた時、小谷古墳の標識を見つけて、そこに路駐。
30秒ほど山を登ると巨石が口を開けていました。
こんな巨石をどうやってこの斜面に設置できたのか不思議です。
昔はとても景色の良い場所だったはずです。
被葬者が分かるといいのにな。