広い敷地内に小さな古墳が点在している。
この日は奈良公園の鹿にあげるどんぐりを取りに10人ほどで行きました~毎年この時期に行ってます!沢山取れて良かったです~
見渡す限りの古墳(笑)ちょうど桜の季節にお伺いしましたがとても綺麗でした。
◽アクセス①近鉄 「橿原神宮前駅」西口︰徒歩25分. (最寄り駅ではありませんが、駅西口. より一直線で行けるコース)②近鉄 「橿原神宮前駅」 西口 (バス). 「33系統︰御所駅・観音寺・イオン行」. 「シルクの杜」 下車︰徒歩3分③自動車︰無料駐車場完備(100台収容)◽「新沢千塚古墳群」 データ▪所在地 ︰橿原市北越智町・川西町▪規模 ︰円墳など600基以上▪築造時期︰4世紀末から6世紀末▪史跡指定︰国の史跡▪文化財 ︰有形文化財126号墳出土品▪史跡指定︰1979年(昭和54)年国史跡◽「新沢千塚古墳群」 概要▪総数約600基からなる古墳群で、日本. を代表する群集墳でもあります。
▪古墳群は、市南側で高市郡高取町との. 境界となっている貝吹山から四方に派. 生する尾根のうち、北西方向に伸びる. 低い丘陵上に立地しています。
▪4世紀末〜6世紀末までの約200年にわ. たって古墳が造られ続けました。
▪最も多く古墳が築造さられた時期は、. 5世紀後半から6世紀前半にかけての. 100年間でした。
◽発掘調査▪1960年代、新沢千塚一帯の丘陵地に. おける開墾計画に際し、古墳群全体. の約2割にあたる約130基の古墳の. 発掘調査が行われました。
この調査. 結果の成果により古墳群の整備保全. 方針が決定しました。
◽古墳群散策マップ(公式サイト)▪エリアマップをダウンロードし手元. にある方が効率的に散策できます。
▪北群・南群エリアにわかれている為. 見逃しをなくして周遊するにはMAP. で「ビュー・ポイント」等を事前に. チェックすることが肝要・・。
◽散策シーズン▪草木が一段落している晩秋から初春. の頃が良いかも⁉▪個人的には断然、新緑の風薫る初夏. ですが!
サクラとてもキレイです。
南側の公園エリアとは違い散策できる遊歩道があるエリア。
古墳群のため緩やかにアップダウンがあり散策には適したところだと思いました。
駐車場もあるしまた来ようと思います。
こちらは新沢千塚古墳群の北群にあたり、古墳が密集する中を散策できるとてもきれいな園地です。
近隣には民家がたくさんあり、古代と現代の生活が隣り合わせで存在しています。
特に有名な古墳である126号墳は古代シルクロード渡来のガラス製品が出土したことで知られています。
他にも鎧の出てきた115号墳であったり、銅鏡が出た105号墳、他にもたくさん出土しています。
いろいろな副葬品の珍しさと重要さは特別です。
それにしても、古代は埋葬墳が普通であったんでしょうけど、この新沢地区にここまでぎっしり集約させた理由はなんなのでしょうか。
古墳が密集というちょっと陰気?なイメージからは程遠い、カラッと明るくて風通しのよい広場です。
古墳群の地形を利用した公園です。
トイレもまだきれいで、ほどよく整備されています。
4世紀末〜6世紀末までの約200年造られ続け総数約600基と日本を代表する群集墳です。
県道を挟んで北と南エリアに分かれています。
大部分は直径10〜20m程の円墳ですが、方墳、前方後円墳、前方後方墳なども含まれています。
九州から皇室が移り住んだとされる地域に残る古墳群です。
古墳群の中をゆっくり散策できる広くて整備もされているので子連れでも安心桜も見事。
古墳群約600個ある126号噴が方墳で珍しいらしい博物館のおっちゃんが解説してくれた。
新沢千塚古墳群は大伴氏の奥津城です。
大伴の 遠つ神祖(かむおや)の 奥つ城は著(しる)く標(しめ)立て 人の知るべく 万葉集巻十八 4096歌意は、大伴の遠い祖先の神の墓所は、標(しめ・しるし)をたててはっきり分かるようにしよう、人が見て分かるように。
大仏建立に必要な金が東北地方で見つかった際に、聖武天皇より大伴氏へ長年の功績を頌する詔書賜わった事に歓喜して「海行かば 水漬く屍 山行かば 草生す屍 大君の 辺にこそ死なめ かへり見は せじ」と詠んだ長歌は良く知られていますが、その際反歌3首も併せて詠んでおり、これはそのうちの一つで、奥津城・先祖の墓所を詠み込んだものです。
家持の自家が紡いで来た歴史に対する高揚感が伺えます。
古墳群の名前に恥じないほど、周りは古墳だらけ。
ミストの出る竜はインパクトがある。
まさに古墳群、丁度運動不足解消にも歴史散策、付属博物館での歴史の勉強と素晴らしい場所だ。
新沢千塚古墳群(にいざわせんづかこふんぐん)。
この古墳群は、直径10mから15mの円墳を中心に前方後円墳や方墳を含む約600基からなる。
築造時期は4世紀後期~6世紀後期。
周囲は新沢千塚古墳群公園として整備されている。
(駐車場有)密集した小型古墳が独特の景観を見せており、その異様とも写る風景が特長。
被葬者については謎が多く、大陸色の強い豪華な副葬品が出土しており、そのミステリアスさが人気となっている。
以下、日本経済新聞より抜粋。
「大和三山の一つ、畝傍山(うねびやま)の南西に広がる丘に、ミステリアスな貴人が眠っていた古墳がある。
繊細な細工が目を引く黄金の耳飾りや指輪、澄んだコバルトブルーのガラス皿。
~中略~特に注目を集めたのが、126号墳から見つかった金銀やガラスなどの副葬品で、国重要文化財に指定された。
~中略~枕元には透明なガラス碗(わん)が青いガラス皿に重ねてあった。
これらは今年7月、東京理科大などの蛍光X線分析でササン朝ペルシャ由来の品と裏付けられた。
まさしくシルクロードの終着点とも呼ぶべき豊かな国際色。
ただ「被葬者の正体が、何ともつかみにくいんですよ」と同博物館学芸員の石坂泰士さんは語る。
一番の謎が、古墳の小ささと副葬品の豪華さが釣り合わない点だ。
例えばガラス碗の類例は、大山古墳(仁徳陵、堺市)や高屋築山古墳(安閑陵、大阪府羽曳野市)など巨大古墳から出土したと伝わる品くらいしか見当たらない。
~中略~どの氏族の墓域かは蘇我氏、東漢(やまとのあや)氏、大伴氏など諸説ある。
海外の品と国産品が出土しており、渡来人と倭(わ)人が入り交じっていた様子がうかがえるという。
」
大和三山の一つ、畝傍山(うねびやま)の南西に広がる2キロ四方の丘陵に4世紀後期~6世紀後期の古墳約600基が集中し、国内有数の古墳群とされる。
直径10~20メートルの小規模な円墳が大半を占める。
1962年から5年がかりの大規模な発掘で、多彩な品々が出土した。
特に注目を集めたのが、126号墳から見つかった金銀やガラスなどの副葬品で、国重要文化財に指定された。
橿原市博物館の展示室中央で輝いているのは精巧な復元模造品。
オリジナルは東京国立博物館にある。
平成29年夏現在駐車場を含め古墳群散策路等の整備工事が行われていました。
墳丘だらけの素晴らしい古墳群で気軽に散策できますのでちょっと立ち寄るだけでもその良さがわかると思います。
すぐ近くの歴史に憩う橿原博物館もリニューアルされ見応えがあります。
300円是非立ち寄りましょう。
天気の良い日にお弁当を食べるには良い場所です。
見渡す限りそこかしこ古墳!古墳好きには堪りません(*´ー`*)周辺だけで350基ほどあるそう。
すぐ近くの歴史館がリニューアルしたらしく、入場料300円でなかなか見応えありました。
のどかで、この周辺だけで遊べます🎵
名前 |
新沢千塚古墳群 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
0744-47-1315 |
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
4.2 |
広い敷地内に小さな古墳が点在している。
その風景には一見の価値がある。
グーグルマップの航空写真版が一番かもしれないが。