場所的にも由緒ある神社なんだろうな。
場所的にも由緒ある神社なんだろうな。
ホケノ山古墳の口コミが書けないのでこちらに書きます。
箸墓古墳の東側に位置するかなり巨大な前方後円墳です。
崇神天皇皇女豊鍬入姫命の墓という説もあります。
かなり狭い道を行きますがこの神社を越えて古墳の直前に比較的広い駐車場(7-8台)があります。
国津神社のすぐ奥、東側にあたります。
国津神社は祭神を天照大神の御子神五柱とし、正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊日天忍穂耳尊天穂日命天津彦根命活津彦根命熊野(木予像)樟日命素戔嗚尊が天照大神と天の安河を中にはさんで制約(うけひ)したとき、天照大神の玉を物実として成りいでた神々。
その天照大神ゆかりのこの神社だが、『日本書紀』に「天照大神、倭大国魂二神を天皇の大殿の内に並祭る。
然して其の神の勢を畏りてともにすみたまふに安からず。
故、天照大神を以ては、豊鍬入姫命に託けまつりて倭の笠縫邑に祭る」とあり、ここ箸中の東、三輪山麓の檜原の地は天照大神の伊勢鎮座以前の宮居のあった笠縫邑の伝承地となっています。
天照大神の祭祀に奉した豊鍬入姫命の墓所がホケノ山古墳であるという伝承がこの地に伝えられている。
ご祭神 / 正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊(まさかあかつかちはやひあめしほみみのみこと)、天穂日命(あめのほひのみこと)、天津彦根命(あまつひこねのみこと)、活津彦根命(いくつひこねのみこと)、熊野樟櫲樟日命(くまぬくすひのみこと)「太陽の道」(北緯34度32分線)の上にある神社です。
小さい金魚なのか鯉なのかが光にあつまる濁った池が好きです。
こんな場所にある神社ですから、質素ながら、大変重要な意味を持つはずです。
社名も、国の成立ちにかかわるし、本能的に、そう感じました。
ということで、スマホで検索すると、なんと、伊勢神宮と太陽の道でつながっているとのこと。
伊勢神宮の創立にかかわるとしたら、と、妄想が広がります。
名前 |
國津神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-nara/jsearch3nara.php?jinjya=33903 |
評価 |
3.9 |
國津神社(大字箸中)御祭神t天照大神の御子神五柱正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊 (まさかあかつかちはやひあめのおしほのみみのみこと)天穂日命(あめのほひのみこと)天津彦根命(あまつひこねのみこと)活津彦根命(いくつひこねのみこと)熊野[木予象]樟日命(くまぬくすびのみこと)合祭神t素盞鳴尊(すさのおのみこと)末社祭神t大物主命(おおものぬしのみこと)金刀比羅神社(石碑)市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)市杵島神社(池の中島)宇迦御魂神(うかのみたまのかみ)稲荷社【御由緒】國津神社は「地主の森」といい、天照大神の御子神五柱を祭神としている。
この近くの芝地区にも國津神社があるが三比賣神を祀っている。
両社は兄弟社のようで、毎年大字箸中と芝が三輪山の麓に鎮座する檜原神社の大祭を取り行っている。
境内には南から鳥居をくぐって入る。
正面に本殿があり、右手に池があり、中島に市杵島神社が鎮座している。
本殿右横には「金刀比羅神社」の石碑があり、その右奥には赤い社の稲荷神社が鎮座している。
境内から東を向くともう一つの入口があり、そこからは三輪山が正面に見える。
古代からの景色がそのまま残っている。
車は近くのホケノ山古墳の駐車場に置くとよい。