名前 |
柳本大塚古墳 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.7 |
柳本古墳群(古墳時代前期)奈良盆地東南部の東山麓沿いには、 古墳出現期から前期にかけて 大型古墳が多数存在し、南北約5kmにわたって継続的な造墓活動 この痕跡が残されています。
柳本古墳群は、出現期前期の大和古墳群とは谷を隔てて南方の 丘陵辺に展開し、笑和主権の大主墓とされる行燈山古墳 (崇神天皇 陵) 渋谷向山古墳 (景行天皇陵) の2基の巨大な前方後円墳と周辺の前方後円墳。
中小規模の前方後円墳により構成される前期古墳群です。
北に行燈山古墳と双方中円墳の櫛山古墳。
舶載鏡を中心に23面の鋼を未詰めの木箱に納めていた大和笑神山古墳、 アンド山古墳、 南アンド山古墳、 それに竪穴式石室より三角縁神獣鏡33面と画文帯 神獣鏡面が発見された黒塚古墳までを含む一群が所在し、 南には 当古墳群中最大の渋谷向山古墳周辺の上ノ山古墳・シウロウ塚古 境による一群があります。
また、西方の低地部には大型内行花文鏡 を納めた小石室が発見された柳本大塚古墳とペラ古墳。
石名塚古 墳があり、こうした築造立地による群形成の在り方の検討によって当古墳群の成立過程を知ることもできると考えられます。
柳本古墳群の活動が終焉を迎えた後には、大型前方後円墳築 による大王墓のは大和東南部から姿を消し、代わって大和西 北部 (佐地域)に佐紀古墳群が形成されることから、王権の所在が 移動したとも考えられています。
天理市教育委員会より文字起こし。