橿原神宮は明治に此処から移ったものです。
奈良県桜井市育ちです。
明治生まれの祖父の友人がこの辺り(御所市柏原)に住んでおり、ある日、古い自分の家の天井から古文書が出てきて、神武天皇のお墓?宮?は橿原市ではなく御所市柏原だと記載があり、これが公になったら商店街の商売に関わると大変と慌てて燃やしてしまったそうです。
言い伝えではなく、直接聞いた話で、実際そういうことが地元ではありました。
ちなみに、橿原神宮の方は場所の根拠について既に色々いわれていますが、失礼ですが、地元では、あちらは神武天皇のお妾さんの墓だといわれていました。
真偽不明ですが、地元の話をご参考までに。
地元の御所市内のお店の方から、橿原神宮の元宮のような神社が、近くの柏原というところにあると伺い訪問しました。
水平社博物館のすぐ横の少し高い場所にある小さな神社です。
神武天皇が即位された場所だそうで、きれいに整備されており、地元の方が大切にお守りされてきたことがうかがえます。
縁起については二枚目の写真をご参考に。
神社向かい(川の反対側)に公園の駐車場があり、そこから歩いてすぐです。
神武天皇が即位された所は此処であり、橿原神宮は初代天皇を慕う民間有志の方々が誓願して明治天皇が建立したものです。
「畝傍の道」巻一の四の四 御所市大字柏原246神武天皇神社(じんむてんのうしゃ)三十八社神社からおおよそ曽我川の本流に沿って南下してくると、万願寺川と分岐しているところに「燕会(つばめかい)下橋」があります。
そちらの右手(西側)に見える小さな小高い神奈備が「神武天皇神社」です。
案内板に記載されている通り、この地で即位され、最終的に橿原神宮に遷されはしたものの、ここから南に鎮座する嗛間(ほほま)神社神話や国見をされたであろう「本馬山」や「国見山」がごく近くに現存し、そこから国見された光景を「トンボが交尾している形のようである」と発せられ、この地から北部一帯(大和平野全般)を秋津洲(あきづしまu003d蜻蛉島)と呼ばれたこのロマン譚こそがわたしたちの太古への夢を掻き立てるのではないでしょうか。
神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれひこのみこと)は間違いなくここに立ち寄られ国見の山へと向かわれたのです。
こちらの社を訪れたのはちょうど敬老の日あたり、どの野山にも田甫の稲の上にも数えきれない程のトンボが飛び回っている光景が、なおその歴史を確信させてくれたことを憶えています。
この興奮を体全体に記憶させながら、次は嗛間神社にむかわれるとよいでしょう。
その伝承がしっかりと受け止めることができるからです。
地元ですが何も知らずたまたま立ち寄って他のクチコミを拝見して歴史を知りました。
雰囲気もよく素敵な所です。
小さな神社でしたが、趣があり綺麗でした。
初代神武天皇の即位した場所と伝えられています。
すべてはここから始まってます。
敷地内に地蔵さんがあり、祭りも行われるそうです。
すごく地味でびっくりしましたが、この川の流れと小高い山をご覧になっておられただろうと思うと感慨深かったです。
神武天皇の即位した場所たといわれる聖蹟。
にもかかわらず、ここが神武天皇の宮居跡だとわかると住まいを移らざるを得なくなることをおそれた住民が、関係資料をすべて焼き払ったという衝撃的な事実が書かれている。
その結果、神武天皇の聖蹟は柏原の地名の残すこの地ではなく、少し離れた今の橿原神宮の地へと移されることになった。
そのせいか、あまり神氣は感じられない。
神武天皇の即位した場所たといわれる聖蹟。
にもかかわらず、ここが神武天皇の宮居跡だとわかると住まいを移らざるを得なくなることをおそれた住民が、関係資料をすべて焼き払ったという衝撃的な事実が書かれている。
その結果、神武天皇の聖蹟は柏原の地名の残すこの地ではなく、少し離れた今の橿原神宮の地へと移されることになった。
そのせいか、あまり神氣は感じられない。
神武天皇社鎮座地:奈良県御所市柏原246御祭神:神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれひこのみこと、初代神武天皇) 境内社:火産霊社、厳島社 境外摂社:嗛間神社(ほほまじんじゃ、祭神は吾平津媛)神武天皇社の南50m。
由緒 :この場所は、初代神武天皇の即位した場所であると言われています。
享保21年(1736年)の大和誌には「橿原宮。
柏原村に在り」と記し、本居宣長も明和9年(1772年)の「菅笠日記」に、畝傍山の近くに橿原という地名はなく、一里あまり西南にあることを里人から聞いたと記しています。
一説にはこの神社が宮跡に指定されると住民が他に移住しなければならなくなるので、明治のはじめに証拠書類を全て焼いてしまったと言われています。
~日本書紀より~皇輿(すめらみこと)巡り幸す。
因りて腋上(わきがみ)の嗛間丘(ほほまのおか)に登りまして、国の状(かたち)を廻り望みて曰はく、研哉(あなにや)、国を獲矣つること。
内木綿(うつゆふ)の真迮き国(まさきくに)と雖も、猶し蜻蛉(あきづ)の臀呫(となめ=交尾)の如くあるかな」とのたまふ。
是に由りて、始めて秋津洲(あきつしま)の号(な)有り。
境外摂社:嗛間神社(ほほまじんじゃ)についての記述 神武天皇妃の吾平津媛は神武天皇とともに一緒に東遷し、この地に住んだとも云われます。
吾平津媛は「さわりの神」と称され、伝承によると、神武天皇が大和を平定した後、三輪の大物主神の娘・媛蹈鞴五十鈴媛命を皇后に迎えたために、吾平津媛はやむなくこの地に侘び住まいしたと伝えられています。
その怨念が夫婦の縁を呪うと云われ、当地では昔から嫁入りの行列はこの神社の前を通ってはならないとされていた。
橿原神宮は明治に此処から移ったものです。
神武天皇が即位した橿原宮跡とも云われる場所。
名前 |
神武天皇社 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-nara/jsearch3nara.php?jinjya=34336 |
評価 |
4.3 |
鳥居の奉納式でした。
参加し玉串拝礼もさせて頂きました。
この社は鴨都波神社の宮司さんが取り仕切っています。
鴨氏は神武天皇など初期の天皇に后妃を出してきた家系ですから所縁を感じます。
氏子の方からは神武天皇が即位したのはここ柏原で、橿原ではないと伺いました。
この地は人権運動発祥の地でもあり信憑性が高いと思えます。