秦楽寺の秦とは秦氏のことであると云う。
秦楽寺の秦とは秦氏のことであると云う。
秦氏の実態とは?秦の始皇帝に遣わされた徐福(別名『フツ』で、石上神宮の布都大神との関係が注目される)との関係を最初に想像するのだが、葛城襲津彦に依って半島から最初葛城に連れて来られたとも言われている。
一言主神、常世神、稲荷神、豊受大神、天神・・・全て秦氏と関係しているのが不思議だ。
しかも、鉱山・鍛冶・養蚕・稲作・治水 等々、技術的に日本の大きな礎となっていることと、神武天皇の子孫:多氏と並んで宮中雅楽、猿楽・能楽などの文化にも貢献している。
観阿弥・世阿弥のことは言うまでもなく、無類の女好きであり(山梨県の怪談で有名な花魁淵の様に、鉱山では呪術的観点から宇受女の様にステップ音を響かせて踊りを踊る生贄の様な女性が必要なのかも知れない)、石見銀山奉行で名を売った大久保長安も系譜に連なっているのには、背筋が寒くなる。
日本の隠された本流は脈々と流れている。
何故今まで誰も指摘して来なかったのだろう。
聖徳太子、役行者、修二会がお膝元で開かれる奈良の大仏、春日若宮、空海、源信、菅原道真、安倍晴明(式神は磯城神か?)、豊臣秀吉(鉱山開発・大阪築城・朝鮮出兵・・・自ら、闇の復活力を利用しようとした痕跡がある)、お岩様(お岩稲荷)まで、本人の後ろに隠された偉大な神の香りがする。
さて、秦楽寺を見ると、普通の大きな寺である。
しかし、近辺に多神社、鏡作神社群、唐古・鍵遺跡があり、ただならぬ気配を感じる地域である。
何故こんな奈良盆地のど真ん中に秦氏は栄えたのだろうか、そして、何故多氏と一緒に?明日の石上神宮八日参拝会を控え、奈良に来た私は、近鉄 笠縫駅のベンチで一人考え込むのであった。
名前 |
秦楽寺 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0744-32-2779 |
住所 |
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評価 |
3.7 |
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たくさんの絵馬が奉納なされていらっしゃいます。
門前の御由緒によれば、聖徳太子のご意見番として活躍なさった秦河勝氏の尽力による仏教伝来期からの日本有数の古刹であり、秦氏一族の有した優れた農耕水産被服技術の一部であったと思われる演舞を得意とする皆さんが集まり、やがて能の金春流という芸術となっていったのだそうです。
秦楽寺さんの門前には金春流の皆さんのお屋敷があったそうです。
秦氏一族が栄えておられた京都の太秦と都のあった飛鳥を結ぶ太子道にはこちらの秦楽寺さんはじめ、宇治放生院さん、太秦広隆寺さんなど聖徳太子様ごゆかりのお寺がおありです。
ちなみに現存しないですが、秦楽寺さんのかつてのご本尊は推古天皇ごゆかりだった可能性もおありだったそうです。
また境内におわします笠縫神社様は元伊勢伝承をお持ちのたいへん立派なご由来と歴史をお持ちの神社様であるなどこちらには濃密な飛鳥時代から弘法大師様の平安時代への財産がおありでいらっしゃると思っております。
弘法大師様の名残りは、阿、という形をした池に残っておられるそうです。